ミックス丹後2016・企画5月22日・29日
丹後の肖像~カエルにやさしい人たち~のご案内!
① 蛙と人と土と水・名前の意味
ようこそ里山フォトギャラリー「蛙と人と土と水」へ
蛙といっても、とりわけてマニアではありません!偶然もった亀との接点があのような体験を浦島太郎にもたらすに至ったような偶然が、私とカエルとの間に起ったということです、、、!また、「蛙と人」というのは、100%草野心平さんの影響です。「人と土と水」というのは、人と自然との長いかかわりでできた里山そのものです。
②展示写真の概要
3つの視点で構成しています、ご自身の身の回りに起きていたことと重ねてみていただけるとありがたいです。
a 昭和40年代の里山~上世屋の人たち~
我が国が、衣食住燃料の素材を我が国の野や山に求めないという姿勢を明確にして以来、特に中山間地の過疎化と高齢化は厳しく、多くの村々が消えていきました。
昭和3~40年代のことです。、人と自然の長い不断のかかわりで作られてきた丹後の里山。その中に子供を育て文化を伝える暮らしの場があの谷この谷にたくさんありました。そのなかで、教育に当たって、「子どもの暮らしのいま」を見続けていらっしゃった旧宮津中学校上世屋分校主任・岩瀬慈尊先生の写真を中心に祭りや里山の伝わる織物に携わるお年寄りたちの姿を展示しています。
b 自然に向き合い自然の時間に身をおくことは、この時代と社会にもできる
田んぼは乾かして、大きな機械で作業ができるようにして、さらに面積も広くして、そうなると雑草や害虫も薬で立ち向かわないとどうにもならない!時代は、そんな方向にひた走ります。適地適産という指導もおこなわれました。豚を飼え、キャベツを作れ、たばこを生産しなさい、、そんな転換にはお金もかかります。
多くの虫や草が絶えました。消えていくのは村だけでなく、生き物も。その生き物たちは、さらにその次は「人間」、あなたたちだよ、、、といっているようにみえました。
そんな生き物たちが喜んだのは、鍬で田を打ち、畔に張り付いて鎌で草を刈り続けるおばあちゃんや大きな機械を使わないおじいちゃんたちの存在です。
それは、時代に取り残された光景ともいえます。
しかし、この時代に、この社会に、自然に向き合い自然の時間に身をおくことの限りなく困難なことを思うと、その光景は輝いて見えてきました。
さらに、個人的にも想像を絶する苦悩を押し込めていらっしゃる事情を知ると、、なおかつ、穏やかに頭を下げず前を見続けて今を受け入れてそれはもうこの世のものとは思えなくなりました。この時代と社会に自然に向き合い自然の時間に身をおくことはできるのだ、そんなメッセージを、伝わってきたのです。
そして、丹後のモリアオガエルをはじめ多くの生き物たちも、巡る四季の緩やかな時間を受け入れるそんなおじいちゃんやおばあちゃんたちによって守られていることを紹介したいと思いました。
c ふるさと「丹後の風土」
丹後はエネルギー基地に適している。原子力、あるいは火力だ、鉄と油とコンクリートでふるさとを蘇らせてあげると、札束をちらつかせる時代があったのです。白い渚が黒い重油に覆われた事件もおきました。期待のリゾートもバブルの夢、、
ふるさと丹後が時代に翻弄されるなか、30年も前のことになるでしょうか、、「ふるさと」 という詩を書きました。
、、、、、、、、、、、、、、、、、
ふるさとの海よ 私を育てた海よ
砂浜走った 熱い夏
緑深き山 稜線なだらかな ブナの森
年月の流れ 四季の色
絶え間なき 小さな営みに
歴史を 刻み込んだ ふるさと
ふるさとの空よ 私の生きてる空
いつまでも 見守っておくれ
いつまでも、、、、、、、、、、、
これに 京都音楽センター・山本忠生さんが、曲♪をつけてくれました。
そんな思いを持ちながら、鉄と油とコンクリートのないアングルを探って風土を彷徨して30年、そのことによって得たのは、海、里、山が水でつながって生き物と人が共生しうる地域は、ここだ、という確信です。
ふるさと丹後の風土の彷徨、これからも続けます(⌒∇⌒)
③鑑賞は、お座布団に座って!
お座布団に座っていただいての感賞モードの展示になっています。
お茶など呑んで、ポイントではお灯明など灯していただいて心を澄まして見ていただくことを提案します。ゆっくりしていってください。