焼き芋やピザはこんな気持ちで焼かれているのかぁ、と不思議な気分で真っ赤な炭を掻き出しました。
~森林・山村多面的機能発揮対策交付金第二年次事業モデルフォレスト運動・世屋の森 第二年次第八回プログラム~世屋と野間の世屋姫さまを介しての炭焼き交流で、皆さん一様にもたれた感想です。
なんだそんなことかと思われるかもしれませんが、やってみて初めてわかることもあり、それは貴重なことなのです!
その熱さの意味について、とっちゃんこと藤原利昭氏は問いかけます。
「木を炭にするいうことはどういうことかしっとるかえ?」
!!
「木の持っている水分、これを抜くいうこと、木を燃やしてあがる温度は800度。煮炊きにはこれだけあがれば十分。
しかし、砂鉄を溶かし鉄をつくるのには、1200度以上の温度が必要なんだ。炭にすると水分がなくなるから温度を上げることができるんだ」
そうかぁ、炭は刀、鉄砲など軍需産業そのもの!だったんだ。だから森は大切だったのだ、炭出し体験をさせてもらったり話を聞いて、この想いを新たにしたことです。
さて、炭と製鉄との関係では、せや姫様、その「せ」と「や」の意味は製鉄と関係が考えられると斉藤さん、
以下、丸ごと拝聴させて頂きます。
、、、、、、、
セヤとは、ワタクシ的に興味が引かれるのはセヤという地名。神社や山号や山や川の名にも残るが、成相寺の山号でもある、成相寺と関係する以上は何か深い意味があるのではなかろうか。これは何のことであろうか。学者も知らない古い言葉で、丹後にはこの古語にアタックした先人はなかったのではなかろうか、狭谷せやとする書もあるが、そうではなかろう。この辺りでは谷をヤとは呼ばない。
しかしこれがわからないと世屋はわからない。丹後がわからない。(以下書きかけ)
『古事記』に見える勢夜陀多良比売せやたたらひめ
大后と爲む美人を求ぎたまひし時、大久米命曰しけらく、「此間に媛女有り。是を神の御子と謂ふ。其の神の御子と謂ふ所以は、三島溝咋の女、名は勢夜陀多良比売、其の容姿麗美しかりき。故、美和の大物主神、見感でて、其の美人の大便爲れる時、丹塗矢に化りて、其の大便爲れる溝より流れ下りて、其の美人の富登(此の二字は音を以よ。下は此れに効へ。)を突きき。爾に其の美人驚きて、立ち走り伊須須岐伎。(此の五字は音を以ゐよ。)乃ち其の矢を将ち来て、床の辺に置けば、忽ちに麗しき壮夫に成りて、即ち其の美人を娶して生める子、名は富登多多良伊須須岐比賣命と謂ひ、亦の名は比賣多々良伊須気余理比売(是は其の富登と云ふ事を悪みて、後に名を改めつるぞ。)と謂ふ。故、是を以ちて神の御子と謂ふなり。」とまをしき。
(↑ 野間のせや姫様の祠)
『日本古典文学大系』本の頭注は、
セヤは未詳。或いは地名か。ダタラは踏鞴(タタラ)でフイゴに因んだ名。踏鞴は鍛冶に使う道具で、鍛冶は雷神=蛇神と信仰上密接な関係があった。
としている。
上世屋の世屋姫神社の祭神も恐らくこの勢夜陀多良比売とは同じ性格の神と思われるのだが、世屋川の竜神、鼓ヶ岳(成相寺山・成相山・施谷山)のツツ、ヘビのいた山でなかろうかと思われる。『丹哥府志』は、
…世屋、野間の二庄は高山深谷の間にあり。凡七、八里の處四方皆山なり。西丹波、竹野二郡の境に高尾、金剛童子、小金山、市ケ尾、東の方海の境に鼓ケ嶽、千石山、太鼓ケ嶽、其中間には世屋山、比富の尾、露なしケ嶽、是其最大なるものなり、其間無名の山岳挙て数ふべからず、…
としていて、鼓ヶ岳は世屋山(施谷山)ではないようだが、地名を拾ってみると、
神奈川県横浜市瀬谷せや区
奈良県生駒郡三郷町勢野せや
長野県松本市征矢野せやの
常陸国久慈郡世矢せや郷
常陸国筑波郡佐野さや郷
摂津国西成郡讃揚さや郷
遠江国佐野さや郡
セヤはタタラとセットで、同じものと思われる娘の名は富登多多良伊須須岐比売ほとたたらいすすきひめ。ホトとも関係があり、どうやら製鉄と関係したものの名と思われる
『鬼伝説の研究-金工史の視点から-』は、
…〝ヒトタタラ〝は〝ホトタタラ〝と同一になる。だとすると神武紀に出て来る陰部踏鞴五十鈴姫と同一になってくる。陰部踏鞴五十鈴姫は姫踏鞴五十鈴姫と後に改称されているが、例の丹塗の矢が便所に入っている勢夜陀羅姫の陰部に突きささり、姫は狼狽(いすすぎ)でその矢を床に置くと美男子となり、その美男子と勢夜陀羅姫の間に生れたのが陰部踏鞴五十鈴姫であり、妙法山の怪物とこの姫様は同一の名になって来る。だからこの怪物の実体が捉えられると、陰部踏鞴五十鈴姫は、もちろん丹塗の矢が便所で陰部に突きささったこともどういう事態であるかということが分かって来そうで、面白くなって来る。〝タタラ〝といえば、それだけで一般に古代の製鉄のことのように思いがちだが、そうでもなく綿繰の足踏器も〝タタラ〝だし、馬が前足をバタバタさせるのも〝タタラ〝という。だから、火所踏鞴の方が、本当の製鉄炉のことだ。
したがって妙法の怪物もまた陰部踏鞴五十鈴姫も、製鉄炉に関することだということが想像される。そのためにも奥妙法、とくに狩場刑部左衛門を祀っている樫原行きは、果して樫原が古代の鉱山採掘場所であるかどうかを決定するのに重要な地点である。
稗田阿礼や宮人たちは製鉄など知らなかったのか勘違いをしているようだが、ホトというのは「火処」のことで、ヒトとも呼ばれるが、福知山市大江町日藤、尾藤などはそうかも知れない、溶鉱炉のことと思われる。
従って、
『原日本考(正篇)』は、
…且つ其の御名は勢夜陀多良比賣と、こゝにも陀多良即ちタタラの御名を現はしてある。日本書紀はこれに対しては前掲の引用文の如く、玉櫛媛の御名を伝へてあるが、その婚ひの相手方たる事代主神そのものが、鉄産に関係のある蛇の傳承を多大に負ふた神であって、且つ出雲系の大神であることを考へると、古事記所傳の媛の御名も、決して偶然のものでないことが認められる。…
因みにタタラは風送り装置を従属した土製の壷で、この壷に砂鉄と木炭とを入れて点火し、風送を行って壷中の炭火の燃焼を熾んにし、高温度を起さしめ、砂鉄の熔融と鉄の分離を起させる仕掛けのものである。原初に於て此の風迭り装置は獣の皮嚢を以て行はれた。壷も手に提げられる程度のものであった。セヤダタラのセヤは鉄を意味する古代湮滅語の一つである。
サシスセソは鉄を意味すると思われるが、セヤのヤは何か。
『万葉集』巻二十4398。ここは読めないのかほったらかしになっているが、「於此曾箭」という言葉がある。ここを「負征矢(おひそや)」と一般に訳していて、征矢とは戦争の対人用の矢だとする。
そうかも知れないが単に「鉄ソ矢」ということかも知れない。そんなことはわからない、ここにしか用例がない。世界に一つだけの地名のようなもので意味を決める決定打がない、通説は強烈に疑うのが正解と私はいつも思う。
ここの曾箭は鉄の矢だと誰かが書いていたように記憶するが、思い出せない。
銅矢(カグヤ)という言葉があれば、鉄の矢を意味するソヤとかセヤ、サヤという言葉があっても不思議ではない。軽矢は銅鏃の矢、穴穂矢は鉄鏃の矢だそうで、穴穂矢という言葉は見られるが、ソ矢は文献上では『万葉集』のこの一句だけがあるいはそうではなかろうか。
、、、、、、、、
この炭焼き講座、世屋と野間の世屋姫さまを介しての交流、とテーマをたてましたが、野間とせやの炭焼きストはどちらもこの「勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)」様の末裔でその再会だと実感しました。来年もお願いしてきましたので、ぜひご参加ください。