分校
天は学校の上に学校を作らず、学校の下に学校を作らず!とはいうものの、本校に対するところの分校、という時、分家と本家という関係に似た一人前扱いされないといったような何とも曰く言い難い肩身の狭い思いをしたというほろ哀しい気分が蘇ります。
ああ自由は分校に存す 分校から日本の教育をリードするような発達に即したきめ細かいすてきな教育がたくさん創造されたのも、そんな屈折した思いがバネになったのかもしれません。
さて、明日はなろう本校に!そんな夢も営みも青空にはかなく消えて、さらに新しく付け加えられたのは「跡地」という言葉!
「金さん、どうだろう、次々と◆◆校跡という碑が立って、この道は、日本が、◆◆国の日本分国になっていく道ではありますまいかのぅ、、、。」
そうじゃぁ、分校跡が分国跡にならねばええがのう!
それにしても、ここは上世屋小学校、宮津中学校上世屋分校だったのに「跡地」と書いたものすらないではないか、、、
分校巡りの旅、というのがあるぐらいだから、立てておきますよ。