宮津エコツアー · 「カエルの詩人が愛した里 帰村4年目・川内村の誇り」

「カエルの詩人が愛した里 帰村4年目・川内村の誇り」

東京新聞が【ふくしま便り】として2015年7月14日付けで配信した{カエルの詩人が愛した里 帰村4年目・川内村の誇り} というタイトルの記事、これはカエルファンには見過ごせないすてきな記事です。
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東京電力福島第一原発から三十キロ圏内の川内(かわうち)村。事故直後は全村避難となったが一年後に帰村宣言をし、新たに村づくりを始めた。その川内村で今夏もちょっと変わった祭りがあった。カエルの詩人、草野心平をしのぶ天山祭りだ。
さて、どんな祭りだろう。
十一日、草野心平の蔵書を収めた「天山文庫」の庭に数百人もの人が集まった。献花の後、小学生らが詩の朗読や踊りを披露。鏡開き、乾杯と続き、婦人会が用意した手料理を肴(さかな)に、飲めや踊れやのうたげとなった。
実行委員長の石井芳信さん(70)が「こんなに楽しい思いができるのも心平先生のおかげだ」と笑った。蝉(せみ)時雨の下で、人の数だけの笑顔がはじけた。
草野心平と村人の交流は一九五〇(昭和二十五)年に始まった。カエルが大好きでカエルの詩を好んで作った草野が、ある新聞のエッセーに「モリアオガエルの生息地があったら教えてほしい」と書いた。これを読んだ村の長福寺の矢内俊晃和尚が招待の手紙を書いた。何度か手紙のやりとりがあり、五三年八月、ついに心平先生は村へやってきた。早速村人に案内され、モリアオガエルの生息地である平伏(へぶす)沼へ足を運んだ。
平伏沼は海抜八四二メートルの平伏山の山頂にある。集落から七、八キロもあり、当時の山道をたどるのは、なかなかの苦労だったろう。たどり着いたカエルの楽園の風情に草野は心打たれた。

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<うまわるや 森の蛙は 阿武隈の 平伏の沼べ 水楢(みずなら)のかげ>と詠んだ。その歌の碑が沼のほとりに立っている。
その後、名誉村民になり、毎年木炭百俵を授与されることになると、さすがに数の多さに驚いて一年だけで辞退し、お礼に蔵書三千冊を村に贈った。村人は労働奉仕で庵(いおり)を建築し、本を収めた。草野はシルクロードの天山山脈をイメージし、天山文庫と命名した。
詩人は、それから夏ごとに三、四カ月も天山文庫に滞在した。創作に疲れると村の野球大会をのぞいたり、庭を造ったりした。夜は白夜と名付けたどぶろくを楽しんだ。
村役場の若い職員だった石井さんは、心平先生のお気に入りだった。「朝から電話で呼ばれてね。行くと、今日は庭木を切るから手伝ってくれなんて話だ。悪いと思ったのか、あとで書を書いてくれた。その書は、今も額に入れて飾ってあります」と目を輝かせて振り返った。
詩人を訪ねて川端康成や棟方志功などが来た。そうした名だたる文化人と言葉を交わすのも楽しみだったという。
石井さんは役場勤めを続け、原発事故の当時は教育長の要職にあった。遠藤雄幸村長が帰村宣言し、小中学校を再開したときも最前列で采配をふるった。
「あれは厳しい仕事だったな」と言葉少なに振り返った。当時は子供を帰村させることの是非にも議論があった。神経をすり減らすことが多かったろう。
そんな話をしていると、役場の二階からドヤドヤと十人ほどの子供が下りてきた。学校が終わった後に、村営の学習塾を開いているのだという。「村は着実に復興していますよ。これからは原発災害の村ではなく、天山文庫の川内村でPRしていきたいんだ」と胸を張った。

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平伏沼に行ってみた。ミズナラの木の葉に白い泡のようなカエルの卵が幾つもぶら下がり、遠くから見ると花が咲いたようだ。沼は水不足で干上がる寸前だが、水たまりには元気にオタマジャクシが泳いでいる。
村委嘱の巡視員である猪狩四朗さん(55)は「卵塊は二百個以上確認されました。平年並み。来月には立派なカエルが巣立っていきます」と、こちらも誇らしげに話した。
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名誉村民には、毎年木炭百俵を授与される、このエピソードいただきますね。ウオークのガイドネタにさせてもらいます。
ところで、モリに棲む青がえるなので、「モリアオガエル」。さて森にはもう一種類すんでるんです、

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ヒキガエル!どこにいるかわかりますか。

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太い木の右上のうろ。

川にも棲んでますよ、カジカガエル。

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さすがに海に進出したものは聞いていませんけれど。

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