眼下に若狭湾、宮津湾。
丹後半島世屋高原、
右端金剛童子山の山麓に「味土野」。
さて、425年前、戦国の世に走った激震本能寺の変は、多くの戦国人の運命を変えました。信長の媒酌で明智家から細川家に嫁いだ明智たまこと細川たま、後の「がらしあ細川」もその一人。光秀勢には加わらなかった細川家ですが、「たま」を救うために全力を尽くします。その第一策が「離婚」の上、味土野幽閉!眼下に見える下世屋→上世屋→駒倉がその味土野への宮津城からの移送コース。
きびしい寒いとかつらい気の毒、、わたしたちはとかくそんな想像に陥りがち。
ですけれど、「たまさま、うさぎがとれやした。せいをつけてくだせぇ」
「まあ、ありがとう、それにしてもどうやってこんなにすばしこい物を獲るの?」
「ばいというものをなげますばい、」
。 、案外充実した日々ではなかったのだろうかと思ったりします。
たまこさんが二回過ごした丹後半島最奥部の冬、スノーシューウオークで体感しませんか。