宮津エコツアー · 「いちがお」

「いちがお」

丹後縦貫林道太鼓山線から見た「いちがお」!

山塊を西に置いて、つまり東側からの形です。

山塊右端の里は、「丹後町平」

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谷を蛇行する川が、鮎の川、「宇川」

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丹後町三宅付近からのこれも「いちがお」

山塊を北東に置いて、つまり、南西側からの形です。

手前の川は竹野川。

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弥栄町、峰山町からも見えるのがこの形。

 

 

 

 

 

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丹後町丹後学園付近からの「いちがお」

山塊を東に置いて見ています。

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大陸プレートと太平洋プレートとの関係で、2000万年前から始まり約1000万年も続いた火山活動の名残の形なのだそうです。

さて、「いちがお」。市ヶ尾とも、衣遅ヶ尾とも。その「いち」については、「い」も「ち」も、古語では神聖を意味する言葉である、という切り口から諸説あり、です。地形的にみれば、「ち」はあちこちの方向、方角を指す「ち」ランドマークとしての優秀さを取れば「位置ヶ尾」、あるいは、山塊にあるいくつもの尾のうちもっともたかい尾を「一ヶ尾」と呼んでいたが、それが山塊全体の呼称となったと考えられるかもしれません。

また、切り立つ山は、人には優しくありません。

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「むかしむかし、吉永のお寺で盆踊りがありました。その時、一度も見たこともない若い男の人がいました。みんな不思議に思いましたが、だれも、どこの人か、知っている人は、一人もいませんでした。次の日も、盆踊りにその男の人が来ました。村の人たちは、その男の後ろからついてどこへ蛙か調べてみることになりました。細い山道をどんどん登って、依遅ヶ尾の近くまでくると、大きながまが谷というところに、堤がありました。男は、その大きな堤に、とびこみました。すると、みるみるうちに、大きなへびになってしまいました。姿を見られたへびは怒って、次の朝、大雨を降らせました。堤の堤防が壊れて、依遅ヶ尾から、多くの土砂が吉永の村に流れ込み、村はうずまってしまいました、、、」

この怒ったへびの起こした土砂崩れは、「依遅ヶ尾には大蛇が住む」という話に繋がって、そのおろちが麓のお宮の巫女に惚れ、炭のような真っ黒い雲にのって会いに来る、それが210日ごろだという話になっていくという話も伝わっています。
※「丹後町の民話」丹後町教育研究会丹後町社会科研究部会 昭和54年刊

山塊を一周する道があります。いくつものビューポイントを持つのがこの山のおもしろいところ、そんなこんなを思いながら、秋のドライブを楽しまれては。

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矢畑から遠下に続く道側に登山口。一時間程度で登ることができます。独立峰からの眺めは格別ですよ。

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