宮津エコツアー · 麒麟はそこまで来ております、わたくしには見えます、

麒麟はそこまで来ております、わたくしには見えます、

細川藤孝と光秀が、協力して築いた宮津城外堀の大手川。

20210119_173314大手川

「信長殿に、信なし」

光秀、立つ!の報は、三時間後にこの宮津の城に。

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これを届けよ、使者に託した返書には、

「光秀殿、貴殿のお気持ちは当方も同じ、しかれども、ご存じのように当家には当家の事情、そこをご理解くだされ!」

さらに、光秀からは

藤孝殿、委細承知つかまつった、武神のみぞしる明日の命、武運あればまた、両家相力を合わせましょうぞ。また、武運なきときは、たまをよろしくお守り願いたい。かたくかたくかたくおねがいもうしあげる」

さらに、その返書。

『光秀殿 ご理解、かたじけない、たま殿は、当家が命をかけてお守り致す所存。安心召されよ 藤孝』

その署名には、血判が押してあったという。

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藤孝は、玉を呼んだ。

「光秀殿は、野望や野心の政治ではない政治を、望んでおられた、たま、耐えよ」

玉は答えた。

「義父(ちちうえ)さま、ご配慮の深さにあらわすことばもありませぬ。麒麟はそこまで来ております、わたくしには見えます、耐えます、耐えて耐えて、麒麟を迎えに行きます」

細川家の決断の苦しさと意味を今に伝えて、玉、ガラシャ像は、宮津城をのぞみ、立っている。

20210119_173646ガラシャの夢は夜開く

、、、、、いちがぶらり、、、!

怪しい光は、想像も妖しくしてくれるものです。

20210119_173631がらしゃは守られた

雪が解けたら、あるきますよ、ガラシャさんを見舞いに味土野まで。

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