「ひいながさいたら粟を蒔け!」
ひいなとは、タニウツギのことです。
では、なぜ、タニウツギのことを「ひいな」と呼ぶのか、
「上世屋ではひいながさいたら粟を蒔けと「ひいな」、弥栄町舟木では「ひいなご」とよんでいることについては、調査が及んでいないようです。その解釈のポイントは「な」なんでしょう、つまりおひたし、和え物、みそ汁、ご飯に混ぜるなど食用にしたということです。りょうぶも「な」を含む方言がある、「ギョーブナ(静岡・愛知・熊野・奈良)、ジョーブナ(三重・奈良・和歌山)、サダメシ(青森・岩手・宮城・秋田。サルナメシの転訛か)がそれで、このナは食糧となる『菜』を意味する。」と和泉光一さんがおっしゃっています。」、、、こんなくるしまぎれのあてずっぽうをかってしておりました。
違いますよ ひいなとはひな、雛のことと 国語辞典編集者の 神永暁さん。
以下のように解いてくださいました。
「雛(ひな、ひいな)」とは、もともと小さくて可愛らしいものを表す言葉。 平安時代の「ひいな遊び」に使われたのは、紙や布で作られた素朴な人形だったと考えられています。 やがて時代がすすむにつれ「ひいな遊び」の人形は華麗で立派なものになり、飾って楽しむものへと変化していきます。
、「雛」は古くは「ひいな(歴史的仮名遣いは「ひひな」)」と言うこともあった。ただし「ひな」も「ひいな」も今とは違い、ひな祭りに飾る人形のことではなく、女の子が玩具にする、紙や土、木などで作った小型の人形のことを言っていた。
「ひな」と「ひいな」ではどちらが古い言い方なのかよくわからないのだが、『日本国語大辞典 第2版』を見ると、平安時代の用例は「ひいな」の方が圧倒的に多い。
たとえば『源氏物語』には、幼い紫の上の姿が可憐に描かれた以下のような場面がある。
「ひゐななど、わざと屋ども造りつづけて、もろともに遊びつつ」(『源氏物語』若紫)
「屋」というのは人形の家屋のこと。人形遊びをしている紫の上と「もろともに遊」んでいるのはほほえましいことに光源氏である。
平安時代には、人形に着物を着せたり、いろいろな調度を整えたり飾ったりする女の子の遊びを「ひいな遊び」と呼んでいた。
『枕草子』の「すぎにしかた恋しきもの」の段にも、「枯れたる葵。ひひなあそびの調度(=道具)」とある。
これらの用例からもおわかりのように、平安時代には貴族の子女にとって「ひいな遊び」とはふだんの遊びであり、もともとは3月の節句と直接の関係はなかったのである。
ひいながさいたら粟を蒔けというのは、上世屋の方言ではなく、平安時代の雅ことばだったのです。