銅鐸の音、須代野で聴きたい!
実現しました
グヮラーン
堅めのおm追いおm追い重いすこし不透明な音、、、
グヮラーングヮラーン グラーングヮラーングヮラーングラーン
どんなときに!?、なんのために?!
大坂古代史博物館での想像絵、
、、ふむふむ、ふーん!
いさなごの前に、土器を置いてみた
「、、、ウ、、お、、、そうか サケ、酒やあ」
[天女、善く酒を醸み爲りき。]『丹後国風土記』(岩波古典文学大系本)
丹後たにはのみちのしりの國の風土記に曰く、丹後の國丹波の郡。郡家こほりのみやけの西北いぬゐの隅の方に比治の里あり。此の里の比治山の頂きに井あり。其の名を眞奈井と云ふ。今は既に沼と成れり。
此の井に天女八人降り來て水浴みき。
時に老夫婦おきなとをみなとあり。其の名を和奈佐の老夫おきな・和奈佐の老婦おみなと曰ふ。此の老等、此の井に至りて、竊かに天女一人の衣裳きものを取り藏しき。即やがて衣裳ある者は皆天に飛び上がりき。
ただ、衣裳なき女娘一人留どまりて、即ち身は水に隱して、獨り懷愧居りき
、、、
「一坏飮めば、吉く万の病除ゆ。其の一坏の直の財は車に積みて送りき。時に、其の家豐かに、土形富めりき。」
はごろもを隠した爺さん、おおもうけしたんだ、天女にサケをつくらせて!
やよい須代人はそれほど「飲んべえ」だったのか?
どうなんでしょ、まだまだ謎はなぞを生みます
。