ソメイヨシノは家に植えたらあかん、家が負ける!と内は爺さんが言うとったとはなす知人。
花のお江戸は八百八町、富豪を誇る庄屋や酒屋でこそみあうがな、、。ソメイヨシノは晴れ桜、その本質を言い得て妙とうなずきました。
↑ 京都新聞 文芸欄
家に置いたら家が負けるけれども、ここに置いたら負けませんで、というのが、世屋は松尾の「一本桜」。
ここの桜は絵になる!と画家さんも注目されるのが最近の特徴です。
↑jA京都 パートナー 4月
こんな感想もいただきました。
「今がピークという情報で、ちょっと焦って松尾の一本桜をみてきました。
水の音、風の香り、日差しの爽やかさが心地よく、桜の向こうに広がる海と緑の山並みを見ながら、この地でこの時に存在できるしあわせを感じて、何もせず田んぼの畦道に座って何時間も過ごしてしまいました。」
この五感を解放して向き合ってらっしゃる、絵心歌心のある方だとおもいました。
絵を見や訪問記をよみながら、ただ、ソメイヨシノは人為の桜、
高原の田園は棚田とはいえ、形は人為の方形、忸怩たる思いが湧くのも禁じ得ませんでした。
「この地でこの時に存在できるしあわせ」、、、、「時代の流れを教えてくれる景色」
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野の桜、山の桜が高原を埋め尽くしたとしたらどんなだろう、何を今埋めておくべきなのだろうと心ではおもいました。
ちなみに、これ今噂の生成AIの仕事、。
「この桜が、はるか下に海を望む棚田の高原に咲いているという構図でお願いできますか」と入力相談したらこのイメージかな!と回答。
さらに、新緑のイメージで彩色をとオファーするとこれ。
イメージが、日本の里山の色形じゃない、中国系だなと思いつつ、この所要時間数分。恐るべき「職人さん」登場とは、ほんとうだと寒気を感じながら思いました。