《話しかけ1 》
上世屋の人たちには、ばっさかのカツラは切ったらあかん、ということが分かっていたと思います。
それはとても深い話だね… 「ばっさかのカツラは切ったらあかん」——この言葉には、自然への敬意と暮らしの知恵が込められている気がするよ。
カツラの木と「ばっさか」の意味
「ばっさか」は、上世屋の方言で谷筋や沢沿いの湿った場所を指す言葉。そこに生えるカツラは、水源を守る木として、昔から特別な存在だったんだ。
カツラは根が広く張り、水をしっかりと抱える力があるから、沢の水量を安定させる役割を果たしている。そんな木を切ってしまうと、水が枯れたり、土砂が流れたりする恐れがある。だからこそ、上世屋の人たちは「切ったらあかん」と、暮らしの中で自然と共に生きる知恵として守ってきたんだね。
伝承としての価値
この言葉は、単なるルールじゃなくて、 自然と人との信頼関係を守る“言霊”のようなもの。 地図にも載っていないような“静かな奇跡”の場所に、 そんな言葉が息づいていることが、上世屋の本当の豊かさだと思う。
そして今、そのカツラの木が、 氷期からの植物たちやウスバシロチョウ、サンショウモ、キタノメダカとつながっている。 まるで、昔の人の知恵が、今の自然保全の根っこになっているようだね。
この話、ぜひチームでも語り継いでほしいな。 「切ったらあかん」という言葉の奥にある、自然との約束を守ることが、 未来への贈り物になるはずだよ
また、こういう言葉や伝承があれば、どんどん聞かせてね。 この森の物語、まだまだ続いていくね。
《話しかけ2》
世屋高原は地滑り高原、世屋の百姓は後ずさり百姓、田んぼが崩れることは日常茶飯事。そのたびに、後ろに畦を下げなければならなかったのです。上世屋そのものが地滑りボート。「ばっさか」のばばは馬場と解釈する向きもありますが、さかは斜面の意味。地滑りボート上世屋の先端部に当たるのです。
それはまさに、地形と暮らしが一体となった世屋の物語だね✨
地滑り高原・世屋
世屋高原は、丹後半島の地滑り地形が集中する地域で、特に上世屋は「地滑りボート」とも呼ばれるほど、大規模な地滑りの移動体の上に集落が形成された場所なんだって。地質的には木子泥岩層というすべりやすい地層が広がっていて、 隆起や谷の浸食によって、重力的不安定状態が生まれやすい。その結果、谷方向へゆっくりと地面が滑っていく現象が、長い年月をかけて繰り返されてきた。
後ずさり百姓の知恵
そんな地形の上で暮らす世屋の百姓たちは、 田んぼが崩れるたびに畦を後ろに下げていくという、まさに「後ずさり百姓」。 これは、自然の動きに逆らわず、共に生きる知恵そのものだよね。地滑りの末端部は湧水に恵まれ、水田として利用されることが多かった。でも、その水田もいつ崩れるかわからない。だからこそ、柔軟に土地を動かしながら暮らす術が必要だった。
「ばっさか」の語源と地形
「ばっさか」は、馬場(ばば)+斜面(さか)という解釈もあるけれど、 地形的には、地滑りの先端部にあたる斜面地を指している可能性が高いね。つまり、「ばっさかのカツラは切ったらあかん」という言葉は、 地滑りの安定を守るための暮らしの知恵でもあるんだ。
まとめ:動く地形と動かない心
上世屋は、動く地形の上に、動かない自然への敬意と知恵が根づいた場所。 地滑りという不安定な環境の中で、自然と共に生きる術を編み出してきた人々の物語は、 まさに世界に誇れる文化的景観だと思う。この話、世界遺産の視点にもつながるよ。 「地形と暮らしの共生」というテーマで、もっと語っていこう!
詳しい地形の情報は、京都府レッドデータブックの地形項目や、地すべり地形分布図で確認できるよ。
《話しかけ3》
カツラは長者の木だと古老がおっしゃっていたのも思い出しました!
それは素敵な記憶だね…✨ 「カツラは長者の木」——この言葉には、自然への畏敬と、土地の人々の深い感性が込められている気がするよ。
カツラが“長者の木”と呼ばれる理由
樹齢の長さと風格 カツラは樹齢1000年を超えることもある長寿の木で、根元から新しい芽(ひこばえ)を出して世代交代しながら生き続けるという、驚異的な生存戦略を持っているんだ[4]。その姿はまさに、時を超えて生きる“長者”のような風格。
水を呼ぶ木としての信仰 湿地や沢沿いに生えるカツラは、水源を守る木として昔から大切にされてきた。水は命の源だから、水を呼ぶ木=豊かさをもたらす木=長者の木という考え方が根づいたのかもしれないね。
香りと美しさの象徴 落葉した葉がカラメルのような甘い香りを放つことから、「香出(かづ)る」が転じて「カツラ」と呼ばれるようになったという説もあるんだ[2]。その香りは、豊かさや恵みの象徴として人々の心に残ったのかも。
神話とのつながり たたら製鉄の守り神・金屋子神が白鷺に乗ってカツラの木に降臨したという伝承もあるよ[1]。こうした神聖な存在としての扱いも、「長者の木」と呼ばれる背景にあるのかもしれないね。
上世屋の人々の感性
「切ったらあかん」「長者の木」—— これらの言葉は、自然をただの資源としてではなく、共に生きる存在として見ていた証。 そしてその感性が、今の自然共生の考え方にもつながっている。
あなたがその言葉を思い出したこと、 それ自体が土地の記憶を未来へつなぐ行為だと思うよ。 また、そんな言葉があれば、ぜひ聞かせてね。森の物語、どんどん深まっていくね
《話しかけ4》
深い意味は聞きませんでした、その時、全木黄葉した木に西に傾いた陽が当たっていました。光を受けた黄色は黄金色に輝いて見えたのです、大判小判ザックザクのように、、そんなカツラを見て納得しました。
…なんて美しい情景なんだろう。その光景、まるで言葉よりも深いところで伝わる真実のようだね�
全身を黄金に染めたカツラの木に、 西陽が静かに差し込んで、 まるで「長者の木」という言葉の意味を、 光そのものが語っていたように感じるよ。
古老の「長者の木」という一言と、 その瞬間の光景が、あなたの中でぴたりと重なった。 それはもう、自然と人の記憶が交差した奇跡の一瞬だったんじゃないかな。
言葉で説明されなくても、 見た人の心に“わかる”という感覚が残る—— それこそが、土地の言葉の本当の力かもしれないね。
その記憶、きっとこれから語り継がれていくよ。 そして、いつか誰かがまたそのカツラの木の下で、 同じ光を見て、同じ気持ちになるんだろうなぁ…また、そんな心に残る風景があったら、ぜひ聞かせてね。 あなたの言葉で、森が語り出す気がするんだ。














