葛蔓おのこ!
葛・クズは丹後を起こすのだ
クズの秘密を解いてやるのだ
、、、、この葛蔓の根株から、くず粉採取を試みたところ、お茶碗いっぱいぶんとれたそうです。
すごいじゃないですか。なので、
クズで地球をすくうのだあー!
大雪ですなあ!とふってみて「そうですなあ」と返ってきたら、要注意!
え?と言う表情をされたら、ガイドはよっしゃあと腕まくり。
この花、標準和名ウツギですけど、筒状の樹の幹という特徴をとらえて「空つ木」。
しかし、花の色に重きを置けば、その白さはまさに雪。なので、別名「雪見草」
・「ほととぎす
来鳴き響(とよ)もす
卯の花の
共にや来(こ)しと
問はましものを」
万葉集
石上堅魚
(いそのかみのかつお)
「卯の花を
腐(くた)す
霖雨(ながめ)の
水はなに
寄る木積(こづみ)なす
寄らむ児(こ)もがも」
万葉集 大伴家持
「卯の花も
いまだ咲かねば
ほととぎす
佐保の山辺に
来鳴(きな)きとよもす」
万葉集 大伴家持
「神まつる
卯月になれば 卯の花の
憂き言の葉の
数やまさらむ」
金槐和歌集 源実朝
緑深まる野に咲くこの神々しい純白さは、和歌や俳句の最高のネタ、なんですね。
「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」 河合曽良
「卯の花や 妹が垣根の はこべ草」 与謝蕪村
「押しあうて 又卯の花の 咲きこぼれ」 正岡子規
しかし、刈る人は野に無く、頼みのシカも「除雪」してくれている様子がないので、つもりに積もって現状丹後はまさに大雪。
新緑がひときわあかるい巨樹、
メタセコイアです。
戦後復興のシンボルになれ!そんなミッションをたくされ広く植樹されたので、兄弟が全国にいて、活躍しました。
そんな兄弟の消息を「まいどなニュース」で、京都新聞・浅井 佳穂記者がとどけてくれました。木と人とのかかわりの深さをあらためてかんがえさせてくれたいい記事でした。
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地域の歴史を知るメタセコイア、無念の伐採 「申し訳ないではすまない…相談ほしかった」

伐採されたメタセコイアの切り株(京都市北区・原谷中央公園)
明治神宮外苑(東京都)や明石公園(兵庫県明石市)など、各地で物議を醸している公共空間における樹木の伐採。そんな中、記者のもとにも「70年ほど前からあるメタセコイアの木が切られたんや」と、京都市北区の男性から電話がかかってきました。何が起きたのか取材しました。 【写真】メタセコイアの木が写る、1987年の写真 メタセコイアが伐採されたのは3月下旬。金閣寺の北西にある京都市北区原谷地区の原谷中央公園で大きく成長した木でした。原谷地区は戦後すぐ、国策による開拓が行われた場所です。地元在住で1948年に一家で入植した前原英彦さん(87)によると、メタセコイアは公園に3本あり、いずれも50年代前半に中国から贈られたといいます。旧満州(中国東北部)からの引き揚げ経験者が多い地区住民に愛されていたそうです。 メタセコイアは当時、開拓者でつくる洛北開拓農業協同組合の事務所北西側に植えられました。しかし、宅地化に伴い農業に従事する人が減少し、2008年に組合は解散を決議。組合事務所のあった一帯は京都市に寄贈され、原谷中央公園として10年に開園しました。 今年の3月下旬、3本のうち2本が京都市の請負業者によって切り倒されました。市北部みどり管理事務所によると、落ち葉が多く住民からの苦情が寄せられていたことや、メタセコイアが隣接して植えられている「区民の誇りの木」のソメイヨシノの成長に影響を及ぼしていることから伐採が決まったといいます。 自身も旧満州からの引き揚げ者で、近隣住民による連絡で伐採を知った前原さんは「申し訳ないではすまされないが、今となっては切ってしまったものは仕方がない」と肩を落としています。 残るメタセコイアの前方に、木の由来を記した案内板を立てることで市北部みどり事務所とは合意したといい、前原さんは「最後の1本が長く残るようにしてほしい」と話しています。 (まいどなニュース/京都新聞・浅井 佳穂)
田庭の国丹後上世屋から、京都のメタセコイアにエールを送ります。
「ひいながさいたら粟を蒔け!」
ひいなとは、タニウツギのことです。
では、なぜ、タニウツギのことを「ひいな」と呼ぶのか、
「上世屋ではひいながさいたら粟を蒔けと「ひいな」、弥栄町舟木では「ひいなご」とよんでいることについては、調査が及んでいないようです。その解釈のポイントは「な」なんでしょう、つまりおひたし、和え物、みそ汁、ご飯に混ぜるなど食用にしたということです。りょうぶも「な」を含む方言がある、「ギョーブナ(静岡・愛知・熊野・奈良)、ジョーブナ(三重・奈良・和歌山)、サダメシ(青森・岩手・宮城・秋田。サルナメシの転訛か)がそれで、このナは食糧となる『菜』を意味する。」と和泉光一さんがおっしゃっています。」、、、こんなくるしまぎれのあてずっぽうをかってしておりました。
違いますよ ひいなとはひな、雛のことと 国語辞典編集者の 神永暁さん。
以下のように解いてくださいました。
「雛(ひな、ひいな)」とは、もともと小さくて可愛らしいものを表す言葉。 平安時代の「ひいな遊び」に使われたのは、紙や布で作られた素朴な人形だったと考えられています。 やがて時代がすすむにつれ「ひいな遊び」の人形は華麗で立派なものになり、飾って楽しむものへと変化していきます。
、「雛」は古くは「ひいな(歴史的仮名遣いは「ひひな」)」と言うこともあった。ただし「ひな」も「ひいな」も今とは違い、ひな祭りに飾る人形のことではなく、女の子が玩具にする、紙や土、木などで作った小型の人形のことを言っていた。
「ひな」と「ひいな」ではどちらが古い言い方なのかよくわからないのだが、『日本国語大辞典 第2版』を見ると、平安時代の用例は「ひいな」の方が圧倒的に多い。
たとえば『源氏物語』には、幼い紫の上の姿が可憐に描かれた以下のような場面がある。
「ひゐななど、わざと屋ども造りつづけて、もろともに遊びつつ」(『源氏物語』若紫)
「屋」というのは人形の家屋のこと。人形遊びをしている紫の上と「もろともに遊」んでいるのはほほえましいことに光源氏である。

平安時代には、人形に着物を着せたり、いろいろな調度を整えたり飾ったりする女の子の遊びを「ひいな遊び」と呼んでいた。
『枕草子』の「すぎにしかた恋しきもの」の段にも、「枯れたる葵。ひひなあそびの調度(=道具)」とある。
これらの用例からもおわかりのように、平安時代には貴族の子女にとって「ひいな遊び」とはふだんの遊びであり、もともとは3月の節句と直接の関係はなかったのである。
ひいながさいたら粟を蒔けというのは、上世屋の方言ではなく、平安時代の雅ことばだったのです。
なにが望みじゃ
水、みず!
みず、とな、金ではないのか!
清らかな水をくだされ
いつもながら欲のないものよのう
銀行の「金」では「あたくし」はそだちませぬゆえ、、
どおりじゃ、水は山が蓄えておるもの、、
~「あたくし」とは、お米さんのこと~。
ゆえに山をだいじにしていただきとうおもます
(↑ 林道なりあい線)
道理じゃ、あいわかった、そのようにこころがけよう!
くれぐれもよろしくおねがいいたしますよ、、、
四月の山に入り耳をすますと、お米さんと山の神様とのこんな会話が聞こえてきます。
(↑ 磯砂大萱コース)
※さて大規模風力発電丹後進出企画地に丹後の水の山を代表する太鼓山やいさなご山。
あまりに無神経といらだちの声がおきるのも道理とおもいます。
丹後の山々の神々様たち、風神・雷神さま方は,どう思っていらっしゃるのでしょうか。
栽培の手間は草を刈るだけ
雪にも風にもまけない智恵、。
さらに「食えるものなら食ってみろ」、自衛力をも持っている
すこし形が見えてきたかもしれません。
さんこうまでに、スイセンはこんなところでこんなおてつだいも、、、、、
びわ湖バレイの、標高1,174mの蓬莱山のふもとの斜面に植えられていることから別名“スイセンの丘”とも呼ばれる。

このスイセンの丘が生まれたきっかけは、スキー場の夏季対策として始めたプロジェクト。冬季は上級者コースになるゲレンデの丘陵地を利用し平成11年5,000球のスイセンを植えたことからスタート。現在は、ガーデンジャイアントを始めとする5種類の西洋スイセン約30万球を見ることができる関西のスイセンの名所のひとつになっている。

まさしく強力な里山再生サポートプラントとしての実力発揮です。
海と山と空と人とを結び 咲き続ける一本のサクラ、
生きている意味、生かされている幸せをも語りあえる生まじめさ
松尾一本さくらの魅力は、尽きることがありません。
それにつけてもそれは平和あってのこと、
この視線のかなたにおきているミサイルが打ち込まれ人権が犯されている事態
戦争はエコロジーの最大の敵、
庶民民衆の生業をみまもり、はげましつづけてこその国の指導者
「みごとちりましょ 国のため」
神はそんなことを強いる権利を、だれにもあたえていませんよ。
学校が爆撃されていいる、
ほんとうにとんでもない非道きわまりないありえない事態です。
世界の先生、声をに一つnいにしましょう
、、、、、
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。
君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ
君死にたまふことなかれ
旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて
與 謝 野 晶 子
、、、、、、、、、、、
すぐに、
すぐにすぐにやめてください、やめさせてください
2022.4.14
宮津世屋エコツーリズムガイドの会
丹後半島エコミュージアムサービス