時の流れなんていうけど、みえるわけないじゃん!
そういう向きの方にお奨めスポット、丹後郷土資料館の桜。
時は流れています、ごうごうざぁざぁ ごろ゛ろごろ と音をたてて流れております、といわんばかりの桜花。
古民家は築180年といいます。
古民具の展示も充実しています。
古式便器
容器
コロナ禍は現代の生活スタイルの見直しを求めているといいます、そのヒントはここにあるかもしれません。
ここの桜の見どころは、天橋立を背にすること。
日本三景を借景に従えて咲く桜は、めったにありません。
桜の花の下には「死人」が埋まっているという有名な詩の一節があります。だから美しいのだと。桜はメモリアル樹、埋められている死者の人生、生きた意味を語り伝えるのだという意味でしょうか。しかし、その事情を語り伝える人もなくなっています。桜には何かある、それを忍ぶのも桜の楽しみ方でしょうか。
その1、宮津・難波野の麓神社のサクラ。
花が白花で葉と一緒に出るタイプです、
種類をチェックすると、赤味大島が近いようですが、どうなんでしょうか!
麓神社の神木ムクノキは、周径505cmの巨樹です。
その2 府中の成相寺本坂道入り口のソメイヨシノ
旧い地蔵堂のそばにある巨樹サクラです。根本には多くの板碑。
その3 岩滝町・板列神社脇のサクラ公園の花もいいですよ。
花に囲まれている巨大な石碑
真名井純一翁の顕彰碑と読めます。
チェックすると郷土の製糸業の発展に尽くした方で、その功績については、
『幕末-明治時代の製糸業者。1826-1902
文政9年生まれ。生家は丹後(京都府)岩滝村で縮緬(ちりめん)をあきない,廻船問屋をかねた山家屋。製糸・養蚕の改良につとめた。明治3年阿波(あわ)徳島にまねかれて蚕糸改良を指導し,晩年は京都府技師となる。明治35年7月16日死去。77歳。本姓は小室。前名は利七,国蔵。
真名井純一[本姓小室利七]は文政12年(1829)岩滝村に生まれた。生家の小室家は山家屋と称し、代々廻漕問屋、生糸縮緬の販売を業 とした小室一族の宗家であった。先代利七の時代の山家屋は持船三十八艘で、縮緬の原料生糸を買収して機業に貸与、織上がった縮緬を京都に送り三井、下村等 に売却するを兼業としており、丹後における山家屋の機屋は数百軒にのぼり、そのために文政5年(1822)の大一揆において襲撃、打ち壊された経過をもつ 地方の豪商であった。 家を継いだ彼も縮緬の原料である生糸商いのため日本海で活躍していたが、万延元年(1860)米沢で製糸について学び、私費で製糸伝導所を開くなど丹後 地方での養蚕の奨励、良質生糸の製造に努め、明治9年(1876)、宮津の銀細工屋兼大工の中本藤右衛門の協力を得て、奥州座繰器(胴繰座繰)、上州座繰 器(角枠手引・丑首座繰)に改良を加えた新しい座繰器械を発明した。これが真名井座繰器と呼ばれるもので、多条繰糸機が実用化されるまで、広く蚕糸絹業界で活用された。この真名井座繰器は、上州座繰と あまり変わらないが、主な改良点は、①機械の運転を右手廻しにした②回転を円滑にするため歯数を増やし、歯形をインボリュート曲線とした③ケンネル撚を別 装置とした④浮繰りとしたなどで、性能が良く漸次他の器械を圧倒、使用は全国に及び我が国の製糸業発展に大きな足跡を残すことになった。
なお、真名井とは古来より丹後に縁の深い呼称で「たなばた天女」で知られる名峰磯砂山の別名でもあり、比沼麻奈為神社(峰山町久次)、豊受大神が降臨し た真名井原(現府中地区)や真名井神社(宮津市中野)など、農耕、機織り、醸造等の伝説的産業神と深く結び付いている。 さて、小室利七は若い頃私財を投じて現在の与謝の海病院南側付近を埋立て、真名井新田を完成させている。後年、それにちなんで「真名井純一」と名乗ったと伝えられているが、丹後の産業神としての由縁を知った上のことであったろう。
(京都府織物・機械金属振興センターの資料)』
~板列公園に偉人の業績 | ガチャマンおやじの忙しい日々gachaman.web-cat.netから~
日本の近代の文明開化と富国強兵を、丹後丹波は製紙で支えたのです。京都府織物・機械金属振興センターはその先頭に立たれたリーダーだった偉業を伝えています。建立は大正九年と書いてあります、園内のサクラは見たところソメイヨシノです、その時植樹された物とおもいますから、100年を越す長寿サクラです。ただ碑文は文語漢文です、今の人が読むには無理があります。その側に説明の看板をつけて頂けるとありがたいかなと思います。
「眠れる森の美女」といったらいいのでしょうか!
ヤブに埋もれていた銘木を蘇らせたのは、オリーブ園再開発事業。一帯の植栽数800本。
その整備に伴って、この桜の周りもきれいにされたということです。
まさに「玉も磨かずんば、、」の例え通りに咲き誇っています。
ともかく場所がいい、籠神社、真名井神社近く、古代から中世にかけての丹後の中心地だったところです。そこに蘇ったこの枝垂れ桜、現代の「木花咲耶姫」のご降臨と言った風情を感じさせる桜です。
花の瀑布のようなたたずまいに対して、花の株立ちには猛々しさも感じます。
主幹が2㍍に満たないため、現在の処は巨樹にはなりませんが、近い将来の巨樹候補です。
宮津市府中運動公園付近、山手に生育しています。
月は、宮津湾越しに登ってきます。なので、、、、
平山郁夫さんの「万葉月華図」のようなチャンスも訪れるのではないでしょうか。
山桜背に蒼穹を負ひにけり 篠崎圭介
(↑ 大宮町三坂付近)
「蒼穹」の意味と使い方をチェックすると『「蒼」は「深い青色」ですが、「穹」には「ドーム型・アーチ状・弓形」といった「円を描くような形状」を表す意味もありました。広々とした空だと感じられる場所で天を眺めてみた時や、水平線よりも少し上の位置から空と海を見た時に、空が円を描いているように見えることがあります。また、「青が濃くて深く感じる」空もあります。漢字の意味からすると「青い空」=「蒼穹」というよりは、「円を描いて見える空」や「深みを感じる青色をした空」を表す時に「蒼穹」の言葉を使うことが最も適切な使い方だと言えます。』。
峠のような高みにある木を下から見ると、「蒼穹」を背に負う、このように見えるのでしょう。
さて、サクラの時を迎えた丹後路のサクラは、まず枝垂れ桜と山桜全線から。
まずは、 真名井神社前の天橋立ユースホステルの枝垂れサクラが、ほぼ満開。
退りては仰ぎてしだれざくらかな 高橋さえ子
歳月の重さを桜しだれたる 遠山風
咲き満ちてしだれ桜の寡黙かな 武井玲子
(↑ 三枚 天橋立ユースホステルの枝垂れサクラ 真名井神社前)
花守の屋根までしだれ桜咲く 中島正夫
鐘の音を含みて櫻しだれをり 荒幡美津恵
(↑二枚 妙立寺の枝垂れ桜)
悠久の時がしだれてゐる桜 松本圭司
(↑ 江尻の枝垂れサクラ 背後の山は由良ヶ岳 真名井神社参道の近くにあります。サクラを中心に一帯がオリーブ園として整備される予定です。)
日置・妙圓寺はさながら山桜寺。
みづからの歳月を経し山桜 津田清子
人間に鴬啼や山ざくら 蕪村遺稿 春
(↑二枚 日置 妙圓寺)
山桜見て居ればつく渡舟かな 波多野晋平
(↑ 伊根湾)
好きな木を一つ挙げれば山櫻 高澤良一
つぼみ膨らむ状態、
「いましばらくお待ちください。」
と案内板。
「皆々様がたは、つつがなく、健やかにお過ごしでござりましたかな!」と里に下りてこられた山の神様。
(↑ 西国三つ葉ツツジ)
おかげさまで家族一同、、と感謝申し上げるのか゛ほんらいなのです。しかし、今年の春のお答えは、
「それがまあさっぱり、つつがありありダニおりおりで、春が来るのをたのしみにしとる矢先のことでさあよわっとるですわなぁ!」
(↑ ワサビの花 芳香成分には殺菌作用をもつと言われます)
「それはいけません、そんなことでしたか、わたしがワサビやクロモジや、タムシバや、おとぎなどを差し向けて、コロナウィルスとやらを封じ込めてさしあげましょう、今しばらくご辛抱くだされ」に言い聞かせてやりましょうなんとか収めてやってください。」
(↑ 籠神社祭礼 4月23,24日)
春の祭りが近づいておりますが、神様がそんにきばっとくれるなら、『自粛』なんていうとれんですぞ。
さて、人の歴史はこのような流行病との闘いの歴史。
明智玉さんにもそれに関わるエピソード。玉さんが、隠棲中、里に流行病が広がったおり、歌が詠め字の書ける教養人の玉さんに歌を詠んでもらえんかと頼んだところ、こころよく書いておくれた、
♪いかでかは 御裳濯川の 流れくむ 人にたたらむ 疫れいの神 ♪
それを戸口に貼り出したところ、治まったもんで不思議な力をもった人だと言い伝えたということです。
しかし、ふつうのレベルの頭では消化不能です。
この歌の意味と解説については
『この歌の類歌として嵯峨天皇の御製があり、ガラシャはそれを借りたのかもしれません。「御裳濯川」は伊勢神宮内宮の境内を流れている川で、「御裳濯川の流れ」とは天照大神の子孫、皇孫を指す言葉であり、味土野とは直接の関係がないからです。「疫れいの神はどうして御裳濯川の流れを汲んでいる人にたたることがありましょうか、いやありません」といったような意味です』
を参考になさってください。
なんだか意味不明、しかしこの謎のエピソードのには興味深い中味を含んでいるかもしれません。
ちなみに、御裳濯川は五十鈴川のこと。
(↑ 五十鈴川 ネット画像)
うぃきぺでぃあは、「伊勢市南部に源を発し北流。伊勢市街を流れ、伊勢湾に注ぐ。倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)の異名を持つ[1]。古くから清流とされ、和歌にも多く歌われた。神路山を源流とし、支流島路川と合流、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の西端を流れており、御手洗場(みたらしば)が作られている。この御手洗場では、かつては手洗いだけではなく、口濯ぎまで行われた。現在でも伊勢神宮の公式ウェブサイトで「神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう」「天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします[2]」と記載され、推奨されている。 」と、ご聖水の流れる川と紹介しています。
水戸というぐらいでその地を流れるのは野間川野源流の味土野川なのです。本来なら、「味土野川の流れくむ」にしなくちゃならないところです。それをなぜ「御裳濯川」としたのか?味土野衆が、伊勢の神につながる皇孫、と自らの出自を語ってらっしゃったかもしれないのです。その当時、村ぐるみ一族ぐるみの広域移動は日常茶飯。事実、近辺の下世屋の城主前野一族は、尾張からやってきた、一色氏もそっちから。なので丹後弁と名古屋弁は似ているといいます。忠興も、尾張岐阜伊勢のつながりで味土野衆と光秀とはつながっていることを知った上で、味土野を選んだという線が浮上するからです。味土野には、木下姓を名乗る家もありました。羽柴秀吉も、元は木下藤吉郎。同姓なのです!味土野衆の木下さんと羽柴の木下は、同郷の流れをくむものであった可能性がある、仮説は大胆なほどいいのです、なにか匂いませんか?
加えて、光秀は、本草学つまり漢方の医者をしていたとも伝わります。
本能寺サミットでも話題として取り上げられていました。
信長に登用される以前、光秀は朝倉家の医者を務めていた可能性がある!
その証拠を、学芸員の石川さんが、針薬方という古文書に見つけたというのです。
娘の玉も父から多くのことを教わり、味土野の危機に際し、適切な指示や薬草も紹介したのではないでしょうか。
もちろん、励ましも大事です。
味土野衆の方々、あなた方は伊勢の御裳濯川のほとりからやってきたのです、「疫れいの神はどうして御裳濯川の流れを汲んでいる味土野の皆さんにたたることがありましょうか、いやありません」元気をだしてしっかりなおしましょう。
そう呼びかけられた村人たちの心は想像できます、
たまさんの歌は疫病神を退散させたのです、
(↑ クロモジ くろもじエキスがウイルス対策に効果があるとする宣伝もあります。)
どうですか、お玉さん!
※ 光秀医者説は以下のサイトでも紹介されていますよ
明智光秀を知将に育てたのは福井県だった!~光秀が再起を誓っ …
www.kk-bestsellers.com/articles2020年1月14日-そこから分かったのは、光秀が朝倉家の秘薬を知っていたということです。それは光秀と朝倉家の直接的な接点を裏付けています」. 学芸員の石川美咲さんが説明してくださった。館内には『湯液本草(とうえきほんぞう)』という医学書が焼け残っ …
N旅行様へ
『海の京都・エコツアーガイドの初夢! 』(1月2日 アップ)の見果てぬ夢の続き!の続き!!
平安時代の書、「梁塵秘抄」が、当時知られた修験の霊地として挙げているのが、
『四方の霊験所は、いつのはしりゐ しなののとかくし するかのふじのやま はわきのおおやま 丹後のないあひとかや とさのむろふと さぬきのしとの道場とこそきけ』の7カ所。
「丹後のないあひ」というのが、成相寺のこと。西国33ヶ所巡礼の28番目の札所として信仰を集めたこの寺は、山田断層の活動による隆起で作られた急な断層崖の山麓、標高約350mにあります。
現代の参詣者は当然ながら、バスやケーブル利用で登り、そして下ります。
しかし、その崖に削るようにつけられた道を「行」として登った昔の参詣スタイルにも魅力があります。
両方を楽しむ方法はないだろうか、、、ありますよ、二倍楽しむ方法が!
成相寺まで登山道で直行→車を駐車場に→参詣→ウオーク(五重塔経由山門→登山バス専用道経由笠松展望台→石段大谷寺道 → ケーブル府中駅→藤織り土産店→つるや食堂→籠神社
→ケーブル府中駅)→ケーブルカー利用し笠松公園→登山バス利用で成相寺へ。
成相寺探訪が二倍楽しめる、これのおもしろさをおしえていただいたのはオーストラリアからいらしたお客から。
要するに、自家用車で350mまで登っておいて、そこからウオークで、麓まで下りて、それからケーブルと登山バスで登って、自分の車にもどるという方法です。東京タワーに例えれば、高速エレベーターで第一展望台へ一気に上がって、そこから第二展望台へおりて、そのあと外についている階段を歩いて下りるようなものです。成相寺から籠神社まで距離2キロ弱。重力に身を任せて下るのですから楽勝です。
参考までにその様子と所要時間です。
五重塔 付近 スタート 0分
1 龍神のタブ 限界標高に生育する胸高周径665cmの巨樹です、
2 山門付近 7分
3 登山バス道からの展望 17分
4 バス登山道の様子
5 股のぞき発祥の地 笠松公園 28分
脳が勘狂うという景色です
6 石の階段の道に入ります 標高差約150mの石段は、山形の立石寺のようですよ。
7 登って来られた方に出会いました。一段一段見つめてらっしゃるのは足下!、、、
8 シイやカシなどの緑豊かで潮風を一杯吸えば気分はリフレッシュ
9 麓におりてきました! 47分
10 一服していきましょう つるや食堂さんで!
戻りは、ケーブルと登山バスを乗り継いで成相寺へ。片道料金と言ってください。
1400円程度です。
必ずケーブルカーですよ、
だまされたと思って、~まあ成相寺を知り尽くしたガイドの言うことです、~試してみてください!
ご案内も出来ます、お問い合わせは、丹後半島エコミュージアムサービスまで
問い合わせ先 09031624499 (オーガニックライフクラブ 川内)
『海の京都・エコツアーガイドの初夢! 』(1月2日 アップ)の見果てぬ夢の続き!
京都で開催される研究学会に集う皆さんに、海の京都の自然と歴史と景観を楽しんでもらいたい、ついては、軽登山を含むウオーク、トレッキングのレクレーション紀行の出来るプランを紹介してほしい、というの問い合わせを頂きました。
それを受けた森の知恵者、ブナガマは考えました。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「①天橋立成相山 ②舟屋奥伊根蝙蝠岳 ③上世屋高山 ④上宮津杉山」がまず考えられるだろう、①②は海の京都の名所、伝承があり、国際的なシンボルエリア。
③④の世界のローカルな味には定評がある、
どのタイプかは好みだ。しかし、50人規模で、全国から、、年齢の幅、男女構成は不明!ということなら、無難なのは「◆天橋立成相山 もしくは◆舟屋奥伊根」この二つだろう。
どちらも「海の京都」の顔。甲乙つけ難し!
◆「天橋立籠神社成相山成相寺・国宝雪舟天橋立絵図」コース
(↑ 宮津 成相山 天橋立大観望)
京都→(バス)→①智恩寺→(自転車・橋立松並木)→②籠神社→(ハイキング雪舟橋立絵図コース 絵図の解説 鈴屋 森さん)→③成相寺→(バス)→④大観望展望台→(バス)→⑤丹後ふるさとミュージアム→お土産・ヤマイチ 橋立ワイナリー等 →(バス)→京都
◆「舟屋奥伊根・浦島太郎、除服伝承」コース
(↑ 舟屋の里 伊根湾内)
京都→(バス)→①丹後ふるさとミュージアム→→(バス)→②浦島神社 玉手箱を宮司さんに話してもらう→(バス)→③本庄 浦島の浜→(ハイキング・ウオーク→野室→泊→)
(↑ 新井岬)
④新井・除服神社→(バス)→⑤伊根舟屋の里、向井酒造など→(バス)→京都
(↑ 撮影;山田眞一さん 蝙蝠岳から伊根湾 与謝の海を見る)
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
こんなアイデアをくれました。
そういう提案をしてみたところ、、
◆「天橋立籠神社成相山成相寺・国宝雪舟天橋立絵図」日帰りツアー
こちらに関心を持っていただきました。30名規模の見込みで進めていってくれというオーダー。
現状、妥当な選択をいただいたと考えます。
(↑ 天橋立の渚)
このコースで可能な限りバラエティーに富んだ内容を組んでみます。
【あらためてお題の確認】
① 日程 7月中旬
② 人数 30人程度
③ 発着 京都駅付近 ホテル
④ 日帰り(泊無し)ホテル発 8;30 同帰着 17;00
⑤ 参加者 年齢 40代 男女混成 体力普通
⑥ 内容 海の京都の自然と歴史と景観が楽しめる軽登山を含むウオーク、トレッキングを含むレクレーション紀行
⑦ 目的 ある学会のため全国から参集された方々の親睦と慰労とリフレッシュ
無理が無く疲れが残らないことに配慮されたい
(↑ 橋立明神付近)
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上記のお題を踏まえて、さて、
夏期 7月中旬 という暑さが予想されます。本来ならこういうところがいいのです。
(↑ 味土野ガラシャ大滝)
コロナなどの今般の状況を考えれば、最大に優先させるのは健康管理、 風、日陰、涼しさなどだと考えます。従って、例えば、軽登山を含むウオークについては、疲労、消耗の予想されることは極力避けて頂いて、「低いところから高いところへ登る」のでなく、逆に「高いところから低いところへ下る」と言う形で考えることにしたいと思います。智恩寺から一宮・籠神社までも、松並木をウオークするのは避けたいところ。松並木を自転車で走り抜ける方法と阿蘇海を観光船で渡る方法との二つの移動方法がありますから、そちらを使う。発着地がほぼ同じなので、体力、希望に応じて選択してもらうことが出来ます。
【コース具体案】
京都(8;30発)→(バス)→
①智恩寺 駐車場着(10;30) トータルコーディネータ合流
境内散策 (① 雪舟絵図地蔵 ②稲富一夢齋 墓③文樹)
→対岸へ移動 11;00発
※選択 ア(自転車・橋立松並木 20分)
イ(観光船で一宮 12分) →

②籠神社 参拝 経由
③昼食(つるや食堂)11;45着 →籠神社駐車場 →バス 12;30発
![kensaki_tsuruya1-350x350[1]](http://miyazu-et.com/wp-content/uploads/2020/03/kensaki_tsuruya1-350x3501.jpg)
④成相山大観望12;50着 13;05発→バス
⑤成相寺 13;15着 参詣
→(成相参詣古道・下りウオーク 股覗き発祥の景観経由)
→笠松公園→(リフト利用)→
一の宮駅 14;30 →バス 14;35
⑥海鮮お土産店・やまいち 見送り15;00 トータルコーディネータ下車
バス→京都着17;00
■ 阿蘇海観光船11:00 ※所用12分 30分間隔 運賃600円
■ レンタサイクル 2時間400円
■ つるや食堂 0772-27-0114
天橋立観光協会www.amanohashidate.jp/food/turuyasyokudou/
※観光バスの動き
①智恩寺駐車場で下ろしたあと、籠神社駐車場に移動して待機。
②昼食後の一行を乗せて橋立大観望へ移動、その次に成相寺まで移動。ここで一行は下車。ケーブル一宮駅近くの駐車場で待機。一行を乗せて、お土産処やまいちへ移動。
※担当 ■トータルコーディネータとして 全行程に同行させていただきます
(2人)日当 一人 10000円
以上起案 丹後半島エコミュージアムサービスでした
楽しい旅をして頂くことを願っています。
、、、、、ここで目が覚めました。
加悦町江山文庫でひらかれている企画展が、すてきですよ。
字は「書く」もの、「打つ」ものと思っている私たちには、不思議な感じになることうけあいます。
取り上げられている短歌や俳句は、それ自体厳選された作品で味わい深いのです。たとえば、
「たのしみは朝おきいでて 昨日まで無かりし花の咲ける見る時」橘曙覧の名歌です。
植田さんの手を経ると、色が見え、香りや音が蘇ってくるようなのです、言葉に籠もる魂を引き出していらっしゃると言うのでしょうか、字で「描いて」いらっしゃるといえばいいのでしょうか。
展覧会のタイトルは水茎春秋。「水茎」は知る人ぞ知るといった言葉。「みずくき」と読んで、筆、毛筆をさします。
□水茎(みずくき)の、岡の葛葉(くずは)を、吹きかへし、面(おも)知る子らが、見えぬころかも
〔語源〕「水茎」は、(1)「瑞茎(みずみずしい茎)」の意で、筆のたとえという。また、(2)古く手紙は梓(あずさ)の枝に玉をつけたものを持たせてやったことから、その使いを玉梓(たまずさ)の使いというが、その梓を「みずみずしい茎」としたことから手紙のことをいい、転じて、筆跡、また、筆の意になったものという。
□意味と用例(1)筆の跡。筆跡。「書道展で見た、かな文字の水茎の跡には、ただただうっとりといたしました」 (2)文字。また、手紙。「今は亡き祖母の水茎の跡を時折眺めては、優しかった人柄をしのんでおります」
この展覧会のほかの展示もおもしろいですよ。
江山文庫、
小さいけれど濃い中身の文学館です。ぜひ訪れてみてください。
あ、そういうことね、223、、、ふ2じ2さん3!
奇しくも令和天皇さんの誕生記念日と重なる日、おそれおおくてとてもそんなことはできる日ではないところですが、富士山の日がさきだったようです。そんなわけで世屋風に言えば、「がっしゃあ重宝なことだあやぁ」というところです。
そこで、インタビュータイム、インタビューアーは世屋野てるみさん。
◆いつ、誰が、なにをはだてる(※丹後方言 企画する 企てる)のに決めなったったでぃゃあな?
「平成10年11月に、山梨県は、富士山の豊かな自然や美しい景観について、その保護と適正な利用により後世に引き継ぐため、静岡県とともに富士山憲章を制定し、その普及定着を図る運動を推進してきました。富士山の自然、景観及び歴史・文化を後世に引き継ぐための運動をなお一層推進するとともに、富士山の世界文化遺産登録の実現に向けて、静岡県、認定NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議等と連携し、国民運動を盛り上げるため、山梨県富士山の日条例を制定することとしました。」
富士山の世界文化遺産登録の実現に向けて、国民運動を盛り上げるため、なるほどぉ!
平成10年え?もう20年もまえのことですわなぁ。
そういう運動が実って、
「2013年平成25年6月、富士山が世界文化遺産に登録されました。」
◆15年もかかんなっただな、そりゃあよかった、で、どういうところを認めてくんなったですいなぁ?
「富士山の世界遺産登録は、富士山という自然の営みに宗教性、芸術性を見出してきた日本人の自然観や文化観が国際的に認められたからであり画期的なことでした。古の人々にとって、高くて美しい富士山は、噴火や溶岩流出を繰り返す恐ろしくも神秘的な山でした。
古来、日本人は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、 『遙拝』 の対象として敬いました。噴火活動が沈静化する平安時代後期以降、富士山は 『修験道』 の道場として、次第に 『登拝』 する山へと変化していきます。
また、富士山は、その雄大で美しい姿から芸術面でも多くの人々にインスピレーションを与えてきました。人と自然が信仰や芸術を通して共生する姿は、富士山が持つ大きな特徴の一つです。
『信仰の対象であり、芸術創作の源泉である』。
この見えない価値こそが、富士山を世界文化遺産に導いたのです」
◆この富士山に続け、世界遺産登録を天橋立も目ざしトンなるいうことをききましたけど、その話はどうなっとるでひょうきゃあなあ?
その「223富士山の日」に、天橋立世界遺産講演会で、日本を代表して登録推進事業に当たってらっしゃる二人の先生が、「あまのはしだて」がを巡る状況と課題を話してくださいました。
そのうちの一人、、「天橋立世界遺産登録推進会議専門委員会委員」の岡田保良先生のお話は、より率直でした。
評価は、悪くない
しかし、門は狭く、敷居は高くなっている、
「世界史的・国際的な観点から、本資産がouvを持つ可能性について確実に証明することが必要である」つまり、世界が納得する情報を示し突破力のある理論を組み立てること
◆なんですいな、そのお湯無井というのは?
おーゆーぶい というのは、「OUV。「Outstanding Universal Value」の略で、「顕著な普遍的価値」と訳される。その意味は、「国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的意義・自然的な価値」
◆、国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した、、、ちゅうですだかどりゃあことだにゃあですかぇ!それにしても、ようしょうちしとらんだけど、どうでそんなどえりゃあもんに名乗りをあけようおもいなっただえ?
◆「地域の人的・経済的負担は経済効果を超えるかもしれない。地域社会にはそれだけの覚悟が求められる。」というのは、どういうことですいなぁ、わたしらも覚悟せんなんですかえ!
たしかにそうです、
「橋立だけなんて無理があるわ!」
「こりゃもう丹後全部でやらなアカンのじゃないですか!」
そういう反応も寄せられています。
こういう声をどううけとめ、どう答えていくか、も課題でしょう。
その点についての参考になるかもしれません。
見事登録を果たされた静岡県の川勝知事さん、
「富士山を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」とおっしゃっています。
究める、守る、伝える、交わる、また、深く、永く、楽しく、広く、この4点セット、確かにポイントです。
その言い方を借りれば、
「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」
ということになるんでしょう。
少子高齢化の進む丹後のみならず京都振興に大きな力となることですし、実際に丹後観光の窓口としての観光資産の蓄積はだれしもみとめるところ。
が、、どうも人ごとになる。
「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」
たのしくつたえるったって、ヘビはおるかぁ カエルはおるかぁとなります。
なんだかどうとりつけばいいのか、、、です。
メーンタイトルは、天橋立を世界遺産に!これはいぞんはない、しかし、サブタイトルがほしいところなんです。
富士山は「日本は、もっといい国だ 富士山再生キャンペーン」を掲げてらっしゃる。
これってすごいですね。
(↑ 日本エコツーリズム憲章)
フィールド探究の実感から言えば、ここは、
「丹後を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」にして、
●丹後は、もっといい国だ
●丹後再生キャンペーン
「里山の日」「かいがん漂着ゴミの日」など『丹後の日』をたくさん設け、合力しあう、特に「天橋立の日」は月一回、内容は自由に創造する、そしてそれを持ち寄れば、
楽しく伝えられる、広く交われる!
はしだてがんばれの機運も盛り上がるようにおもいますけど、どうなんでしょうか。
「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」
「富士山を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」
「丹後を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」、
と並べて、それをお題にしてストーンぶれーみんぐ ってんですか、そんなことをしてみるのも方法かもしれません。
その司会は、この方でしょう。