宮津エコツアー · 冬の重い黒雲の下に、、

冬の重い黒雲の下に、、

「花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」

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野村選手は、1975年5月22日、後楽園球場で、600号本塁打を達成しました。

史上二人目の快挙です。試合後のインタビューで、此の言葉を発したといいます。大観衆が期待し祝うべきもの!しかし、その日の観客は7,000人ほど。大記録を祝う人数ではなかったのです。時のスター王や長嶋だったらこんな人数では無かったはず。

「自分をこれまで支えてきたのは、王や長嶋がいてくれたからだと思う。人の目の前で華々しい野球をやり、こっちは人の目のふれない場所で寂しくやってきた。悔しい思いもした。」

そういう心情を吐露したあとに、自分は月夜に咲く月見草!

王さんや長島さんを吹っ飛ばし、野村選手を、本当の意味で日本のスターに押し上げたのは、此の言葉ではなかったでしょうか。

♪つうきぃもぉしってぇるうおいぁーのぉいぃきぃじぃー(月も知ってるおいらの意気地)♪

月とのつきあいのほうが、日本人は長いのです。何月何日、、月が日より先に来ることでも明らか。

彼が通算26年、プロ野球選手として戦って残した記録。
試合         3017
打席          11970
打数           10472
安打         2901
本塁打        657
三振    1478
四球   1252
敬遠    189
死球     122
盗塁    117
盗塁死    64
打点      1988

そして、残した言葉。

「重荷があるからこそ、人は努力するのである。
重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける。」

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重荷があるからこそ、、、、

冬の重い黒雲を背負う、丹後の町中には、こんな看板も。

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巨人の長嶋茂雄や王貞治が義経なら、野村選手はさながら、弁慶なのかも!

野村語録には他に

◆不器用な人間は苦労するけど、徹してやれば
器用な人間より不器用な方が、最後は勝つよ。

◆ 「もうダメ」ではなく、「まだダメ」なのだ。

自分を確認する言葉をもっていらっしゃるのに感心しておりましたが、 「将来は歌手になろうとコーラス部に所属したり、俳優を目指して映画館通いなどをしていた」ということを聞いて納得しました。かれこそ、丹後の風土が育てた日本のエンターティンナー!

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丹後へいらっしゃるおりには、ぜひ網野まで!。

 

 

 

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