「朝晩は特に寒く、秋を通り越して、冬を感じます。」
「わたし自身この4月に京丹後市民となったので、特別な一年だったなと感じています。この丹後暮らしで周りの景色も、いつの間にか生い茂る緑から鮮やかな赤や黄色に変わり、季節の移り変わりの早さに驚くと同時に、目で季節を感じられる日本の良さを再認識しました。」
京丹後市の広報12月号その編集後記「つぶやき」の一節です。
(↑ 大宮町三重にて)
師走号ですから、「朝晩は特に寒く、秋を通り越して、冬を感じます。」で始まるんですけれど、「わたし自身この4月に京丹後市民となったので、特別な一年だったなと感じています。」とおっしゃっていることに、まず、おっと思い、、
この丹後暮らしで「周りの景色も、いつの間にか生い茂る緑から鮮やかな赤や黄色に変わり、
季節の移り変わりの早さに驚くと同時に、」に続く「目で季節を感じられる日本の良さを再認識しました。」というそこにほおぉ。とくに「再認識」 その言葉にかんたんふをつけました。
(↑ 五十河 小町公園の蕎麦屋)
「再認識」は、再確認とよく似ています、
けれど 、意味の深さが違う、価値の評価を伴います。
しばらく忘れていたり、一度価値のないものとして見捨てていたものを再び認識すること。
英語に訳すともっとわかりやすくなる。
I saw that in a new light new [fresh] light
see ~ in a new light ~に対して新しい見方をする、~を新しい見地から見る、~の新しい面を見る – 見直す
「改めて、その価値を認めたり、評価すること」
地域や自然や暮らし方について、そういう機会を提供すること、それが、わたしどもの仕事、形や匂いや音も味も総合的に、、、、なので、「目で季節を感じられる日本の良さを再認識しました。」大きなそれこそ鬼の鉄棒のような感嘆符をつけたわけです。
里山、丹後に巡る四季のものがたりが当たり前でないものだ、そう言われたらこれはほんとに嬉しいことです。
(↑ 京丹後市宇川海岸)
そらは青い 海はなお青い、山もまた青いこの青を基準に白くなったり黒くなったり紅くなったり茶色になったり、、飽きません。
山がある里がある川がある畑がある田圃がある、お宮さんがあるお寺がある、雨が降る雪が降る虹が架かる鳥が飛ぶ、、、、、、、、
(↑ 令和の大改装が進む真名井神社)
そのあたりまえが、100年1000年と続きますように、と願う年の暮れです。