宮津エコツアー · 上世屋のヤマナシは日本書紀から!

上世屋のヤマナシは日本書紀から!

2012/09/11
ヤマナシは稲作と共に伝来した果樹とされます。 「百果の長」と中国ではされていたとか。

そんな果樹ですから、珍重されないわけがありません。
日本書紀には  持統天皇が、「桑、からむし、梨、栗、青菜などの草木を植え、五穀の助けとせよ」とおっしゃって全国に栽培をすすめられたとの記録があるとのことです。 693年のことです。

真応上人による世屋の里の開村記録は、704年。上人さまといえば、当代一流の学者、行政マン、文化人であったはず。開村とともに梨の苗木をもってきて、これを植えよ、天皇様のありがたいお心ぞ、と指導なさったことは、十分想像できます。

現在上世屋には四本残っている木は、そのころからの栽培歴を持つものかもしれませんよ。藤おりという古代布が、伝承され、「おたてえ」という古代語が残る地域です、切るなよ、飢饉の時はたべんならん、実際に幾度もあった不作の年の飢えを救ったであろうヤマナシが古代果実として連綿と守り伝えられてきた、と考えれば、ロマンのわく話ではありませんか。上世屋だけでなく、下世屋にも内山にも丹後半島の古村には巨木が残っていますが、同じ経歴が想像されます。

その後、品種改良されたり、食糧事情も変わりましたので、振り返られることも少なくなりました。しかし、五穀の助け、元々がそんな位置づけですから、食べられないわけはありません。『果実酒』・『シロップ煮』・『ジャム』などに加工してみたという情報はあります。石細胞と呼ばれるものによるザラザラ食感があるものの逆にそれも個性、秋独特の食感として楽しめますとのことです。古代魚、シーラカンスのような味がするのかもしれません。

(↑ 4/29 開花 岡の前)

ちなみに万葉集
「 霜露の 寒き夕の秋風に
もみちにけらし 妻梨の木は 」
巻10-2189 作者未詳
妻梨とは 「妻無し」、つまり独り身のこと、独り身で色気のなかったあなたにもいい人ができたのではないですか、すてておけないかたですこと!といった意味。

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