宮津エコツアー · 地震が天の橋立を作った?

地震が天の橋立を作った?

自然系の写真には鉄と油とコンクリート、いわゆる人工物は困ります。神様の贈り物、日本の真珠、天の橋立を人工物なしで撮るポイントはどこにあるか、探しました。

ウーン

フー!

すまん、

ごめん

オッ!

ムム!

参考までに、、天の橋立は鳥さんからはどうみえているのかと、鳥になった方の空からのレポート。

(↓ 二枚とも舞鶴の鳥さん )

また、此の天の橋立について、

振興局のHPでは、「今から約4000年前世屋川をはじめとする丹後半島の東側の河川から流出した砂礫(されき:砂礫とは砂や小石)が海流により流され、野田川の流れからくる阿蘇海の海流とが、ぶつかったことにより、江尻側よりほぼ真っ直ぐに砂礫が海中に堆積しできたものといわれています」と紹介しています。

さらに、観光客の「殿上人日記plaza.rakuten.co.jp/siroihana/- キャッシュ」さんは、「丹後半島の東側の河川から流出した砂礫」について、

『2万年前には宮津湾が陸地化していたそうだが、氷河期が終わり海面が上昇し、2~3千年前の地震によって大量に流出した土砂が海上に姿をみせ始め、宮津湾の西側沿岸流で砂礫が運ばれ、天橋立西側の野田川の流れによる阿蘇海の海流にぶつかり、砂礫が堆積をしてつくられた。「丹後国風土記」によれば、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通う為にハシゴを立てた「天の橋立」が、大神が寝ている間に倒れ、今の姿になったとも伝えられている』。と、地震説を紹介されています。ほほー!どういう根拠を持って地震説をあげられたのか教えていただきたいと思いました。「天の橋立」が、大神が寝ている間に倒れたというのが、何によるのか、不思議に思っていました、高速トンネルの天井のように、手抜き工事は神の代にもあったのか、と笑っていたのですが、自然現象を背景にしているのなら、納得できます。また、地震説は史実なら真名井神社の波切地蔵のなぞの伝承とも符号するではありませんか。

さらに、世屋の里の、下世屋の河岸段丘、松尾や上世屋の地滑り地形の形成を説明するカギにつながるではありませんか。この「地震によって大量に流出した土砂」説について、どなたかお教えいただけないでしょうか。

 

 

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