2013/01/07
山があります、
(↑ A 五十河側からみた内山高山の尾根)
誰もがおもうこと、山の向こうには何があるのだろう、どんなところだろう
いつの頃からか、人はこういいかわすようになりました。
「山のはるか遠くに幸福が住んでいる」
さて、それはほんとかしらん、先ずはいってみようとアクションを起こした少年がいました。
けれども、そういうものを見つけることはできませんでした。大人は嘘をいつている。
少年は思いました、
どうして、大人は 山のはるか遠くに幸福が住んでいる というのだろう
(↑ B 世屋側からみた高山の尾根 ABは背中合わせの関係)
そんなことを書いたドイツの詩人の作品を我が国の詩人上田敏
さんが訳されました。
山のあなたの空遠く
さいはひ住むと人のいふ。
ああ、われひとゝ尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
さいはひ住むと人のいふ。
カール・ブッセ 作 上田敏訳
「幸せなんか、向こうにあるものではないのだよ、足下に、自分の今の暮らしの中にしかないのだよ、少年が分かったのは、ずうっとずうっと大きくなってからのことでした。」と理解する向きもあります。そういう国語授業案が大半です。
しかし、そんな理解は哀しいじゃないですか。子どもたちに、行くなというようなことを教えるのですか、それじゃあ個人の成長も人類の発展もありません。
じゃないですよね、
少年が、「山」の意味は、二つある、だから、「山のはるか遠くに幸福が住んでいる」というんだともう一つの意味に気がついたのは、もう少しあとのことでした。山には具象の山と抽象の山がある。「いけ」というメッセージとして教えるのが正しい(^.^)