2013/02/06
大火からの復興に尽力された初おっさんは、話しの上手な人でした。「自転車」の思い出を語ったくださいました。
~自転車~
17の歳に私が自転車を買ったときの値は、20円じゃった。だしてもろうたが、高いもんだと思った。
そもそも、その自転車は、木子の大松きへいという人のもちもんじゃった。この人はまあ器量もええ、三味線もバンバンで、近郷には珍しい文化人でもあったわけじゃったが、金縁めがねをかけとるような人じゃった。
この人が自転車にこってしまって、冬には外では乗れんで、わがげの敷居をぶち上げてその中で乗ったり、田が凍てると、今の集会所の下に大町があるが、そこで乗り回したりしとったんだ。牛も飼うとったが、餌もやらんもんだで、飢えてまやごえをくいあげとったいうほどの惚けぶりじゃったそうな。そうして道楽したあげく、自転車を上世屋に嫁にきとった妹の亭主にやったんだが、よう乗らんいうもんで、それをわしがこうたんだ。
(1975 世屋上小中学校 育友会誌)
・・・・「凍った田で乗り回しなったというのは、このソバ畑のあたりだなあ!」と大松さん。
木子には「七お七たに七へらい」を有した大地主がおられたとか、また、男女ともに目鼻立ちの整った美男美女のおおいのも事実で、伝えられる貴種流離譚もあながち架空ではないと思われる(^.^)
ちなみに、初衛さんは、このあと、収入役、助役、村長になられます。下世屋の村役場へはもちろん、宮津での町村長会議もこの自転車で通われたということですが、その苦労がバス路線の上世屋延伸の運動につながったということです。