宮津エコツアー · 世屋の里・よもやま話し ~スキー民宿が上世屋にあって、次から次へお客が、、~

世屋の里・よもやま話し ~スキー民宿が上世屋にあって、次から次へお客が、、~

2013/02/09
スキーの話し、おフサおばあさんならおぼえとろうで、と新太郎さんからふられたおフサおばあさんは、語りの名人。ほれぼれする世屋弁です。
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丸山先生いうのが初めてスキーで「ええの(上野)」という上世屋のテッペンの山から降りてきなっただ。その時、村中のもんがおおさわぎしてなあ、真っ青になってみんなづれみにでてきただ。
「天からなんだでぃやあっとおりてきたど。天から降りてきたろうか、山から出てきたろうか、いうてなあ、それから村へ降りてきなったんだが、遠いところだで、すいーっとやんなるのがなんだわかれへんで、おもしろいじゃにゃあ、もうびっくりしたもんです。それが上世屋のスキーの見始めでしたけど、そん時はまんだ子どもだじゃったもんに、六、七十年も前のこったろうなあ、その頃はようけ、雪があって、何メートルいうことをしらんで、電信柱に印しといて見たもんですだが、無精なおっさんは、我が家の前をようほらんで、屋根から出入りしたのがあったりしてなあ、

(↑ 2012.2.3)

それくりゃあ雪があったで、スキーにもようけ来なって、婦人会でも寄りおうて、寒いのに来なっただで、思い出のもてなしをしようで、思い出を残すようにしたげようで、いうて決めてなあ、十人ほどが支部長のうちへ寄って、餅をついて小豆を炊いて、砂糖でぜんざいにして、「いわのうえ」へ負うてあがったですわな。
うちは、大きな腹しとったで、いかずに餅をつくっとっただけだったけど、ほいてへこって食べるところは、村の人に頼んで、藁やコモをもっていってもらっちゃあして。無料でお昼の準備をしたもんですだで。それから、ひといきスキーの民宿をしなったえ(家)もあって、ようけもうけなっただ。戦死した保つが一年生の時分じゃったろうかな、あのうちには、冬中、次から次へお客がきなったなあ、ほれで風呂場もこしらえて、丹前も買うてなあ、ほれに濡れてもどってきなるもんだで、大鍋に炭をいれて炭をおこしてその上にアジカ(竹で編んで桑こき二つかうもの)を乗せて着物をかわかしてあげただ。時期に乾いたですで。それから、お客の中には、30センチもあねようなおおけなロウをもってきとんなる人があってそれをうちの九つになる子がもらってよろこんどったのをおぼえとります。
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※レリヒ少佐から指導を受けてスキー普及にあたっていた中山再次郎先生の目にとまった上世屋。“スキーなら上世屋へいけ”「上世屋の雪は、北海道と違わん、ひゃあひゃあ雪(※灰がたつように軽い雪)だ」と中山先生のお墨付きをもらったのですから、スキーに関心を持ち始めた若者たちの眼は、いやでも世屋に向きます。大阪や京都のほうからようけ「上世屋にいこう!」スキー民宿ができ、引きも切らないお客があった!その様子をおフサおばあさんは語ってくれました。

(↑ 2/9  世屋の雪と戯れる町の子ども)

ちなみにおフサおばあさんは、明治33年(1900年)生まれです。昭和の初めのころの話しです。大阪からとしたら「上世屋」へはどのような交通手段を使ってこられたのでしょうか。

Mさん、こうなると、「いわのうえ」スキー場を蘇らせないと(^.^)

それにしても、村人の新しい風を感じる敏感さ、「寒いのに来なっただで、思い出のもてなしをしよう」!まず人のことを気遣う、この人情の熱さは今も、連綿と続いています。
※レリヒ少佐と日本のスキー

テオドール・フォン・レルヒ。1910年11月に交換将校として来日した、オーストリアの陸軍少佐です。

レルヒ少佐は日本に来るや、是非雪の多い駐屯地に配属してくれと強く求めました。そして1911年1月1日に、新潟県・高田(現上越市)の歩兵58連隊に送られます。嬉しかったでしょうね。彼はさっそく雪の中を進む軍事訓練として、兵士たちにスキーを紹介します。これに応えて連隊は彼がオーストリアから持ってきた1組のスキーを拝借、それを見本として帝都の兵器工場に送りました。それからわずか2週間後、ツダルスキー型のスキー10本とストックが高田に届きます。また、連隊長の堀内大佐は数名の青年将校にスキーの練習を命令、レルヒ少佐がその講習をすることになりました。

レルヒ少佐が理論の講習を終えて実地訓練を始めると、好奇心の強い高田の中学生たちが見よう見真似でスキーの道具を作ったといいます。それを見てか、堀内大佐はレルヒ少佐からスキーを学んだ将校たちに、越後地方の学校でスキーを教えるように促しました。もちろん、レルヒ少佐も民間人にスキーを教えることには大いに乗り気でした。彼は特にジャーナリストと教師にスキーを教えます。これはなかなか賢いやり方ですね。おかげでスキーはあっという間に遠方まで伝播、レルヒ少佐が高田に来た翌月の1911年2月29日には日本スキークラブができ、これが翌年には早くも6,000人の会員を数えるほどになりました。
www.onyx.dti.ne.jp 上越市HPなど

また、上越市ではユルキャラも活躍とのこと。

2m70cmという長身キャラのレルヒさん。
ゆるキャラグランプリで4~5位につけています。
身長に合わせて細なが~く切り取ってみました。

<元祖”ゆるキモ”キャラ>
■レルヒさん(新潟県)
2011年「スキー発祥100周年プロジェクトin新潟」のメインキャラクター。
1911(明治44)年1月12日、オーストリア軍のテオドール・フォン・レルヒ少佐が新潟県高田町(現・上越市)金谷山で組織的なスキー指導を行いました。
常に何かを企んでいるが、基本的にお人よし。
やや照れ屋だが、おだてられると調子に乗る一面も。
子ども好きだが、女性には弱い。
教えたがりでおせっかい。
スキーは上手だがやや本番に弱い傾向もあり。
特技:一本杖スキー

 

 

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