2013/02/19
野田川上流の明石、野田川河口、阿蘇海溝尻の三地点で、ボーリング調査された、そうしたら、阿蘇海の汽水化がある時点で顕著になったと推定される資料がみつかったと言います。汽水化が進むというのは、砂嘴・砂州が発達したと言うことを意味しているわけです。
(↑舞鶴の鳥さんの航空写真)
そして、その砂嘴・さすが発達した「ある時点」と言うのがいつか、というと、調査にあたった植村義博さんは、2200年まえと思われると。サンドバイパス工事に当たる土砂が大量に供給される事態がおこった、と言うことです。
それは、どんな事態だったのか。その点について、府教委の有井さんは、「大地震」を想定されます。有井さんは、中越地震やいわて・宮城内陸地震によって大規模な地滑りが起こされたことを例にひきながら、急速に砂嘴を成長させたのは、大地震によって起きた大規模な地滑りて、その場所は、世屋と松尾とします。その根拠として、大規模な地滑り地形を挙げられます。まず世屋の地滑り地形。
次に松尾。
上の写真の奥、雪の積もったところが、地滑り跡を利用した松尾田んぼ。地震は、岳の中腹から山体崩壊させ土砂がそこから宮津湾に流出したのです。
天との架け橋、どどっと崩れてできたのが天の橋立と伝えます、それを小学生に言うと、「老朽化か手抜く工事か?」と。天へかよう山が崩れて、崩れた土が天の橋立をつくったと説明するのが合理的と、有井さん(埋蔵文化財センター)。その天に通う山こそ世屋の山だった、古代人の動きは山を越えて海へ降りてきたのかもしれないと(^.^)
地震があったか?
橋立ユース前の波堰地蔵は、「あった!」と断言します。