木子には、お宮をしのばす建物も石組みもありません。
それでも「宮の森」「宮ノ越」という地名は残ります。
ここが「宮の森」、奥が「宮ノ越」、と示される矢野さん。
ブナの交じった広葉樹林が囲み、何かがあったという感じは漂うところです!
かって木子では、神か仏か、二者択一の抗争があって、ともに川に流すというと極限の選択が行われて仏様が残ったと伝えられます。
薪炭に、製鉄用の燃料に、日常用度品から樹齢数百年の木材を大量に要する寺社城郭官庁建設までを賄う世屋高原の森と技能集団を、権力者が目をつけないはずはありません。その支配権を巡る抗争があったのかもしれません。
木子の「神様」は、宇川を流れて、ガラシャ伝説と交じり合いながら上野の神社で祀られています。