世屋川の素顔を見たい。
『走れメロス』で太宰さんも書いてらっしゃるじゃないですか。「見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵に橋桁を跳ね飛ばしていた。」と。「百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪。」とも。その様子を見たいんです、、、。世屋川でつながる!これが最近のエコツーのテーマですしというと、M新聞のAさん、「わたしの仕事、作らないでくださいね!」
そんな訳と警告をもらって、世屋川 9/4。
1 河口付近で
2 日置世屋川橋付近で
3 日置扇状地出口付近で
4 下世屋・下川橋からの龍渓
5 上世屋の村を貫く川
6 銚子の滝
水の野生を垣間見た思いでした。
太宰さんもこんな濁流、水の野生の形相を観察していたのでしょうね。彼はこの濁流にメロスを飛び込ませます。「濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻かきわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。」
この表現の迫真力は、濁流の観察なくしてうまれません。でも、あくまでも危険には近づかないのが一番。
いずれの場所も300mmの望遠で見ることの出来るところからです。