「内海は子どもの頃は泳いだし、魚が多くて海の形も鯛の形をしていたんだ!」と畑仕事の手を止めて話してくださいました。
府中は中野の「古代の道」を辿っていたときのことです。
ほう、鯛の?
お話しされたのは、80年ここで暮らしてきたという古老。
「頭は江尻の方で口は気船場あたり、背びれが文殊から二本松にかけて、尻っぽは岩滝の方。」 なるほど、そういわれれば!
(↑ 妙見山より)
冶金の鉱石残土の埋め立てでシッポがなくなってしまった。海の形は変わるし、水は汚れておよぐどころではないし魚もとれんようになって、採れた魚にも背骨の曲がったのが混じるようになったとも。 さて、水質のこと、漁獲のこと等ずいぶん嘆いておられたのが印象に残って、すこし阿蘇海環境の問題について見てみました。
おっしゃる通りでした。昭和30年代以降急速に水質の悪化、富栄養化にともなう植物性プランクトンや動物性プランクトンの異常増殖による有機物の分解の低下が進みました。その結果、阿蘇海には75㎝ものヘドロがたまるほどになって、年間漁獲量も20tから7tに減ったということです。
(↑ 縦貫林道から)
「豊かで美しい阿蘇海であってほしい」そんな願いの元、改善に向けて大きく動いたのは、平成19年5月に「阿蘇海環境づくり協働会議」(京都府、宮津市、与謝野町 有識者自治会、商工会議所、観光協会、農業協同組合、漁業協同組合、森林組合、婦人会など)が立ち上がったこと。意味のあるのは農業や林業に関わっている皆さんも加わられたこと。農作業の方法と内海の富栄養化、ヘドロ形成と関係があると気づかれたのだそうです。 ヘドロの化学処理によってゼオライトという堆肥になる物質を生成することにも成功したということです。
(↑ 画面右上が野田川)
野田川上流で鮭の産卵が確認されたことを、昔は付近の農家が20匹は軒にほしていたものだとの古老の話とともに、毎日新聞の阿部記者が報じていらっゃいました※12/5。 「鯛の海を通って鮭、野田川を遡上!」おじいさんの目からはまだまだでも、水質改善の進んでいることに野生の生き物が反応しているのだったら素敵じゃないですか(^.^)