幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく、、、、
作者のこの歌を詠まれた時の年代は、少年、青年、中年、老人のいずれのころか?と質問します!
中学校の教科書に掲載されている歌なので、、、。
圧倒的に「老人」でした。 枯れている!長い人生を感じると。
正解は、「青年」。
詠んだのは若山牧水さん。学生のころだといいます。長い旅路の果ての想いではなく、旅を始めようか、、という盛りのころの想い。
では、この歌をどこで詠んだのか、、、私的には、この場所であろうと確信しているところが京丹後市にあります。山の重なる襟襞に大宮町、加悦町、福知山市などが隠れているのに、そういう気配はいっさいみせないで幾つものやまが続く見事なポイント。 場所は大宮町五十河。牧水さんは小町遺跡を訪ね、さらに味土野の細川ガラシャ幽閉地を訪ねようと内山峠を越えようとなさったのであろう、ふりかえれば重なる山の美しさ、,,。
(↑ Home オープンエア 岡山 様 借用)
実は、歌碑が建っているのが広島県北と岡山県の境の二本松峠。この峠は、祖母が実家と婚家を行き来した峠なので、祖母がこの歌碑を案内してくれたのを思い出します。 しかし、牧水さんの郷里は宮崎県。なぜここに歌碑なのか。 「早稲田大学の学生であった明治40年7月夏休みに郷里宮崎県への帰途、岡山・高梁・新見・宮島・山口と中国を旅して得た歌の中の一つで、ここ峠の茶屋熊谷屋に泊り、これをハガキにしたためて、学友有本芳水へ送った歌である」とhttp://www2a.biglobe.ne.jp/~marusan/homeopunairokayama1.gif。
問題は、このような寄り道を試みた動機、、おそらく若い文学徒の懐には明治38年に発行されたある詩集がはいっていたのではないか、、、。それは、近代ヨーロッパ文学の象徴詩の世界を高雅な響きを持つ日本語に訳した上田敏さんの 『海潮音』 。
例えば、こんな詩を収めます。
「けふは照日の映々と青葉高麦生ひ茂る 大野が上に空高く靡ひ浮ぶ旗雲よ。
和ぎたる海を白帆あげて、朱の曾保船走るごと、 変化乏しき青天をすべりゆくなる白雲よ。
時ならずして、汝も亦近づく暴風の先駆けと、 みだれ姿の影黒み蹙める空を翔けりゆかむ、
嗚咽、大空の馳使ひ、添はゞや、なれにわが心、 心は汝に通へども、世の人たえて汲む者もなし」 賦うた ジァン・モレアス
若い心をぐいっとつかむ詩じゃないですか(^.^)。
この詩集にカール・ブッセさんの[山のあなた]も。
・・・・ 山のあなたの空遠く,幸すむと人のいふ われひとゝ尋めゆきて、 涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く 幸ひ住むと人のいふ。 、、、、
さて、牧水さんは
「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
カール・ブッセさんと牧水さん、二人の心情世界はピタッと重なるではありませんか。
牧水さん、この旅で
「われ歌を うたへり今日も 故わかぬ かなしみどもに うち追はれつつ」
「白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」 こんな歌の想も練られたということです。
こうまとめても、牧水さんはこの道を辿ったのだと信じています。
♪世屋のがっこに松うえて 一のまつにはブッセさん 二のまつには牧水さん わしもなりたや三の枝♪