宮津エコツアー · 森元青芳さんのフクロウ、かく語りき!~部会ブログ投稿1900回記念~

森元青芳さんのフクロウ、かく語りき!~部会ブログ投稿1900回記念~

コラボというか、異業種交流というか逆手の発想というか、、、それはこういうこと?

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焼き物は、愛媛県砥部焼き、森元青芳さんのフクロウさん。

ふくろうさんは、 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、  きれいにすきとおった風をたべ、   桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。  またわたくしは、はたけや森の中で、   ひどいぼろぼろのきものが、  いちばんすばらしいびろうどや羅紗(らしゃ)や、   宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。  わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。」 (『注文の多い料理店』 序) という宮沢賢治さんの言葉を紹介してくれました。

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そして、「世屋の里には、あっちにも、こっちにも賢治さんがほほえんでいらっしゃいますよ。この詩を朗読しに世屋の里へおいでになりませんか!とアピールしたらどうですか」と(^.^)

さて、今回で部会ブログ投稿1900回!歩く人が多くなればそこに道ができる!

下りの一方通行だった世屋街道、細く詰まった世屋への道も必ず拓けるというのが、過疎を逆手にとる10ヶ条。

曰く

「一.「過疎」は「魅力ある可能性」と信じること。

二.ないといことはなんでもやれるという可能性があること。

三.目標は「東京ではできないこと」をやること。

四.武器は「アイデア」と「実践」。

五.キーワードは「過密」とのジョイント。

六.壁へのチャレンジは「実績」のつみかさね。

七.逆手にとるのは「過疎のマイナスイメージ」廃校、廃屋、多い高齢者。失いきった活力etc。

八.ほしい「つれ」は「厳しい古里だから、あえて古里に生きる」という人たち。

九.とにかく、他人はどうであれ、己は過疎を相手に楽しく生きること。

十.「群れ」はそんな「楽しい生き方」を「見せびらかして」つくること。」

1982年、逆手塾に集う皆さんによってまとめられた、ふるさと復興、地域振興、活性化の大原則です。

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その頃、世屋でも若者たちが歌っていました。

♪ ※ヨッホー ホホッホホー ヨッホー ホホッホー 上世屋へ行こう

ヨッホー ホホッホホー ヨッホー ホホッホー みんなが待っている

1 京都から 山陰線に乗って 綾部で乗り換えて   舞鶴線で 西舞鶴で乗り換えて 宮津線に乗って  ※

2 由良川の 鉄橋を渡って 右に海を見て   海の向こうに 丹後の山が おお見えてきた  ※

3 天の橋立に 昼ごろついて バスに乗ろうと思い   駅員さんに 尋ねてみたら 4時間待てという  ※

4 しかたなく 天の橋立を 歩いてわたる   松の木陰では アベックがよりそい あーなんて俺はわびしい  ※

5 重い荷物を 肩に背負って 山道を歩く   鳥が鳴き 谷川のせせらぎが やさしく語りかける   ※

6 福寿草と つくしの子どもが 肩をよせあう村    28軒の家々が 肩を寄せ合う村   ※

(「上世屋へ行こう」詩・曲 黒坂正文)

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上世屋へ行け、日本がわかる、、、上世屋へ行ったら何かがある!

人は歌わなくなっても、山が覚えています、山といっしょにうたいながら、2000をめざします(^.^)

♪ゆめひとついらんかね♪ゆめひとついらんかね、、、、 やしきたかじんさんは1949年10月5日うまれ,享年64。

 

 

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