宮津エコツアー · 二体のせや姫様の語ること

二体のせや姫様の語ること

世屋の里の鎮め神「せや姫」さん

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。元々は、小さな祠が置かれたものでした。

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中の札には「瀬谷姫大明神」と記名。

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さて、これはすごいぞ、、あわわわ、、、とりはだたつほど、、、、ざわついたのがこの記事。 「中世の風流田楽の古い姿をよくとどめる芸能」ふむふむ、、「野中の田楽」、、、ふむふむ、、、「京丹後市の文化財94、、、ふむふむ、、「練習は、祭りの2週間ほど前からはじまります。宵宮2日前の練習後には三宝荒神、宵々宮の練習後には」うむ?「世屋姫と小森という」なにーい!!「荒神さんにたいして飛び開きを奉納します」。読み返しました。『宵々宮の練習後には世屋姫と小森という荒神さんにたいして飛び開きを奉納します』。京丹後市広報2月号の記事です。

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「せや姫」さんが野間の野中にも祀られている。それは荒神さんである。野間と世屋との間の濃い通婚関係の謎や、かって同じ与謝郡に属していた理由を解き明かす窓じゃないですか。 掲載元の文化財保護課に連絡し、地域の詳しい方を紹介していただき、飛んでいきました。

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これです、、、タブの巨樹のそばの祠にお奉りしてあるのがせや姫さんです。野中大宮神社の神主様がおっしゃるのです。

「わたしは、世屋の里からきました、あなたはほんとうにせや姫様ですか」

手を合わせながらおたずねすると、雲間から日が差すじゃありませんか、ほんの一瞬でした。

確信しました、せや姫様だと。

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この荒神さんをまつるお講が結ばれていたということです。

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掛け軸が伝わっているかもしれないと言うことです。そこにはどのような漢字が伝えられているのでしょう。

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東と西にあるこのふたつの「せや姫様」、この神様は東から西へ移動されたのでしょうか、それとも西から東?おそらくは後者でしょう。としたら、今の世屋の里の瀬谷姫様は、日置や下世屋を支配する一族との境界神?

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(↑ 野間秋祭)

世屋の「せや」のもとは「そや」、意味は鉄の矢(斉藤喜一さん)。としたらせや姫様は丹後の森の「ジャンヌダルク」、、、、。

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丹後の山の森で物の怪たちがざわつき始めました。

※ 後日譚があります。引き続きお知らせします。

 

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