ラッパ水仙の群生が見事!
世屋の里は下世屋の遊休地、荒廃した放棄田の一角にあるんですよ。
これはすばらしいもんですといったら、周りのススキを刈り払ってくださいました(^.^)
なぜすばらしいというか、そのわけはこうです、、、スイセンには3月の日本スイセン、4月の西洋スイセンと二手がありますが、どちらも外来種。日本スイセンは平安末期に中国経由で渡来したといいます。平清盛さん等を喜ばした献上品の一品ではなかったでしょうか。中国では仙女が天に地に水に住まうと申します、この花はまるで清らかな水に住まう仙女のようだと、中国では「水仙・スイセン」と申しております。平家ご一門のご繁栄を謹んでお祈りももうしあげつかまつりますう、、、とかなんとか。清盛さんが喜んだというなら、もう怖いものなし、匂い立つ香りは繁栄の花に違いないとお墨付きをもらったようなもので、平家一門の手で全国に一気にひろがったと想像します。そしていまや各地に大きな群生地を作るにいたっています。
と言うのが、水仙はもともと繁殖力の旺盛な植物です。球根植物の子株は親株を栄養源にして育つものが多いのですが、スイセンはどちらも太っていきます。それに、きれいな花には気をつけろ、という戒めを地でいくのがこのスイセン。全草有毒。タマネギやニラと似ているので間違える中毒事象があとをたたないのだそうです。つまり、イノシシが食べないです。
一方、西洋スイセン!内側の花被片が尽きだして咲くのでラッパ水仙といいます。
原産はポルトガルからイギリスドイツにかけての西ヨーロッパ。日本への渡来時期は、、明確な資料に出会えませんでした、おしえてください。「西洋」というぐらいですから、江戸末期から明治のことでしょう。こちらも封建時代からの解放、西洋列強に追いつくのだ、文明開化させるのだ、そんな時代のムードを牽引するシンボルフラワー、明治天皇ごすいせん花として国策的に普及が図られたと想像してもいいのではないでしょうか。
(↑ 上世屋 ノウダの土手)
この西洋水仙も日本水仙と同じ性質を持っています。繁殖力と毒で自ら身を守れるので獣害に遭わない、※最近はこれを食べても平気という鹿が現れたというそうですが、、、だから群生地を作る可能性はあるのです。日本水仙の群生地はあって人気ですけれど、明治以降時間的な制約と宅地工場用地で遊休地がなかったという条件があるのでしょう、西洋水仙の群生地は余り形成されていない、、、
下世屋前田農地のラッパ水仙群生地は、規模はまだ小さいです、けれども大きな火になる可能性を感じるではありませんか(^.^)