白んできた空に一つだけ残る星!
まもなく夜明けだ、あの山に登れば朝日が見える! 子どもっぽく胸を弾ませながら車を走らせました。 きっかけは「日置」からは、夏至の頃、冠島と沓島の間から日が昇る、だから日置だと日置の方がおっしゃったのを聞いたもので、そうだろうとは思うものの、写真を見せられたわけではなく、そうなら撮っておく必要があるだろうとおもったこと。
場所は日置を見下ろす成相山テレビ塔付近。
小鳥がさえずり始めます。トルルルルルー 谷からはアカショウビンの特徴のある鳴き声も聞こえます。
顔をだした太陽が風船を膨らますように天地に命の気を吹き込んでいくようでした。
さて、「海との関係で日の出るところ」は、「太陽信仰の神(日神)を祀る土地」で「重要な土地」として太平洋から日の昇るのは伊勢だとして神社をもうけたのだが、一方日本海から日の昇るところはどこだろうか興味があると森浩一さん。※北近畿の考古学」(両丹考古学研究会・但馬考古学研究会)
冠島のほうから元伊勢・篭神社の神様はいらっしゃったといいます。
海の光りの中を走る船が、それはほんとうだといっているかのようでした。森先生は、出雲とも考えられるが、日本書紀や奈良からでる木簡には「旦波」とかいてある。「旦」とは、国語辞典では、〈タン〉あさ。夜明け。「旦夕/一旦・元旦・吉旦・月旦・歳旦・早旦・明旦」とあります。そういうことをふまえ、たんばというところの「丹波」がひのもとを意味する「旦」の「旦波」なら丹後丹波である可能性があるとおっしゃっていますが、がここの朝日に光る波を見られたら、どういうことをおっしゃったでしょうか。
また、かって成相寺は、この付近にあったと伝えます。朝日は仏の出現、修行の僧の皆さんは朝日に祈られたのかもしれません。
、、うちは、日蓮宗ですので「(^.^)、、
「諸佛世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見をしめさんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、これを諸佛はただ一大事の因縁をもっての故に世に出現したもうと為なずく。三界は安きことなし。猶お火宅のごとし。衆苦充満して甚だ怖畏すべし。常に生老病死の憂患うーげんあり。かくの如きらの火、しーねんとしてやまず。如来はすでに三界の火宅をはなれて寂然として閑居げんこし,林野に安処あんじょせり。いまこの三界はみなこれ我が有なり。その中の衆生は、悉くこれ我が子なり。しかも、今此の處は諸々の患難げんなん多し。唯我一人のみよく救護くごをなす。我化の四衆、比丘比丘尼、および清信士女をつかわして法師を供養せしめ、諸の衆生を引導してこれをあつめて法をきかしめん。若し人悪刀杖あくとうじょうおよび、瓦石がしゃくをくわえんと欲せば、すなわち変化へんげの人をつかわしてこれがために衛護えごとなさん。爾その時に、寶塔の中うちより大音声いだして歎ほめてのたまわく。善哉ぜんざい、善哉。釈迦牟尼世尊。よく平等大慧びょうどうだいえー、教菩薩法、佛所護念の妙法華経をもって、大衆だいしゅーのために説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、所説のごときは、皆是真実なり(薬王山常徳寺発行 『新しき佛教のおつとめ』から)]