世屋の六地蔵様
地蔵盆が過ぎると山の里では、ソバ蒔き,柿渋のかきぼり、だいこや白菜の種まきなど秋の仕事に取りかかります。
さて、この機会にお地蔵様とはどんな仏様なのかについての学習。まず、そもそもお地蔵様とは、、、。
「釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩」とされています。
そのお地蔵様なぜ六体なのか、そして、それぞれのこ尊名についてウィクペディアの記事を引用します。
「仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。六地蔵の個々の名称については一定していない。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。」
六体である理由はわかります。が、世屋のお地蔵様の名はこの説明にはない名前です。
調べてみましたら、近いのが、四国高知の石丸神社の六体地蔵さまにみられました。
「地持地蔵尊」「陀羅尼地蔵尊」「法印地蔵尊」「鶏亀地蔵尊」「法性地蔵尊」「宝性地蔵尊」
ところで土佐の六体地蔵さま、建てられたそのいわれが何ともいえない。
関ヶ原後、徳川方に反抗した一領具足と呼ばれる長宗我部残党の下級武士たちを弔う物なのだそうです。、 徳川方からその振る舞い不埒先晩 すべての首を持ってまいれ その数273人。その首、塩漬けにされ大阪にいる井伊直政に届けられたそうですが、残った体の弔いに小さな祠が建てられたのが今の石丸神社。六体地蔵は当然江戸期には建てられず、昭和14年12月野市町の吉祥寺住職が供養のため広く浄財を募り建立したということです。
碑は言葉は語りませんけれど、凄惨な歴史と民衆よ牙を研げ志を持続させよというメッセージを託されて立ち続ける物なのですね。
※参考 六体地蔵 – 土佐の歴史散歩tosareki.gozaru.jp
世屋の里の六体地蔵様は何を語られるのでしょうか、、、なにはともあれ、、
「南無オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(Aum ha ha ha vismaye svaahaa)」
「南無オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(Aum ha ha ha vismaye svaahaa)」
「南無オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(Aum ha ha ha vismaye svaahaa)」
合掌!