雪の龍渓!
(上 04,1/25龍渓橋)
「恐ろしい竜は、そそりたつ断崖下を流れ、いくたびか道行く人を飲みこんできた世屋川をたとえたのでは-と考えても不思議ではない。人の力ではどうしようもない大自然の恐ろしさを、恐ろしい生き物、竜にたとえた伝説は多い。昔の人の素朴な自然への畏怖がそうさせたのだろう。」と斉藤さん。
※www.geocities.jp/k_saito_site/doc/simoseya.html
では世屋川を龍にみたてたその「昔の人」。それがいつか具体的な年代で特定出来るかというと宝暦13年(1763年)から天保12年(1841年)頃に小林玄章親子によってまとめられた「丹哥府志」に【龍ケ壷】。「下世屋村より五六町斗行て岐路あり、右は松尾村なり左は上世屋村なり、其岐路より川にそふて一、二町斗の處にあり。在昔龍此處より天上す、よって斯なりぬと申伝ふ、奇怪の處なり。」この谷に、龍の言葉がもちいられ、記録として残っているのはこれが始めのようです。龍ケ壷とは誰がなづけたか、と小林さんもたずねたようですが、「在昔龍此處より天上す、よって斯なりぬと申伝ふ」と、やっぱりさらに「昔の人」!記録以前どこまで遡ることが出来るかは不明。
さて、今の龍渓橋は4代目、見事なV字谷の高さ32mのところを跨ぎます、
架橋は昭和54年。その少し下流に昭和二年に府道の開通に伴い建設された3代目がありました。
2代目橋は下川橋とよばれる石造りアーチ橋、大正年間の架橋といいます。
初代は、、、、谷底の岩の上に板を置いた流れ橋だったのでしょう。
また、V字谷。地学用語では、ぶいじこく、と読みます。
横断面の形が、Vの字型だから。VといえばUも。U字谷とV字谷。形成の違いによります。
U字谷は、氷河の作った谷。
一方、山間を下る力の強い流れのため谷が深く穿たれ削り下げられ、壁は不安定で絶えず崩壊し続けているのが、V字谷。河谷形成の段階でいえば、始めの頃、つまり、幼年期の特徴を示す谷なんだそうです。
恐ろしい龍のすむ谷も地学でいうと幼年期、、、人間とは物差しが違います。