「波浪は天橋立を越す。竹野川沿岸被害甚大。一村 残らず流出の所あり。現峰山町杉谷まで船9隻が流れ着いた。加佐郡田辺は泥海と化す。」※1
にわかに信じがたいこんな大雨大洪水がじつはあったのだそうです。
1443年 のこと、 一村 残らず流出の所あり。というのは、船木庄内の奈具村のことで、生き残った住民は隣村の溝谷村と外村へ避難移住したということ。領主も年貢を取るどころでなく、時の領主一色義範は年貢を免じ大災害に対処した ということ。
嘉吉3年(1443)9月の奥丹後豪雨として記録されているそうです。
(↑ 左上の独立峰が小金山、右上奥が金剛童子山)
さて、この恐怖の史実の記憶は、薄れます、、、わからないから突然にやってくる自然の変化、よく観察していろという戒めとともにつたえなければならない、、どうするか!そこが人間の知恵、、、物語に、、、物語には主人公が必要です、そこで選ばれたのが、ヘビ!
例えば、「むかしむかし、吉永のお寺で盆踊りがありました。その時、一度も見たこともない若い男の人がいました。みんな不思議に思いましたが、だれも、どこの人か、知っている人は、一人もいませんでした。次の日も、盆踊りにその男の人が来ました。村の人たちは、その男の後ろからついてどこへ蛙か調べてみることになりました。細い山道をどんどん登って、依遅ヶ尾の近くまでくると、大きながまが谷というところに、堤がありました。男は、その大きな堤に、とびこみました。すると、みるみるうちに、大きなへびになってしまいました。姿を見られたへびは怒って、次の朝、大雨を降らせました。堤の堤防が壊れて、依遅ヶ尾から、多くの土砂が吉永の村に流れ込み、村はうずまってしまいました、、、」
この怒ったへびの起こした土砂崩れは、「依遅ヶ尾には大蛇が住む」という話に繋がって、そのおろちが麓のお宮の巫女に惚れ、炭のような真っ黒い雲にのって会いに来る、それが210日ごろだという話になっていくという話も伝わっています。※2
600年まえの丹後豪雨。
この時のこと、世屋の里でも、、、、、
棚田の過酷な地形が、耳をすませば語り伝えているのかもしれません。
災害の世紀ともいわれる今日、ヘビがあちこちで怒っています、
(↑ 成相寺 真向きの龍)
最大の要因は温暖化、その防止は待ったなしということですか゛さて、、、(´・ω・`)
※1丹後の戦国時代 その弐 – 丹後の歴史と伝説。
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※2「丹後町の民話」丹後町教育研究会丹後町社会科研究部会 昭和54年刊