成相寺電波塔付近から西、鳥取の方角を見ている。
国名では、丹後、但馬、伯耆、いわゆる山陰道に連なる国。さて、丹後の国、中央のたんぼは五十河田んぼ、一筋の山脈の向こうに大宮町と峰山町、雲の上になだらかな山体を見せている左にいさなごさん(磯砂山661m)、右にひさつぎだけ(久次岳541m)、ここが、「ウイナラ」、わがふる里、京丹後市なのだけれども、いかにも山国!山林面積95%なのかと思うくらいの、こんないいかた聞いたことが無いですが、『里山市」だなぁとしみじみおもったことです。
ところで、左のいさなごや山右のひさつぎ岳どちらにも古代伝承、、
ひさつぐ岳は、咋石嶽の別名。『豊受大神現身の移り住まわれた地で、神代に月読命を饗膳したことにより斬り殺された土地である。今も大饗石があるがこれは饗膳を供した霊跡である。その下に御手洗滝があるが、これは豊受大神を切った月読命が手を洗った神跡と伝わる。その上には大神社 というところがある。その右の方に来迎山がある。これは月読命を豊受大神がお迎えした古跡である。切果渓(この谷の下に桐畑村あり)は豊受大神を月読命が切り果たした地であると伝わる。』
また、いさなご山には、羽衣伝説。『 8人の天女が舞い降りて水浴びをしていたそうな。これを見つけた和奈佐という翁が一人の羽衣を隠し、養女として連れ帰ったそうな。羽衣を失った天女はこれに従うしかなく、十年余り一緒に暮らしたそうな。働き者の天女が万病に効く酒をつくったおかげで翁の家は富み栄えたが、やがて心変わりした翁は天女はもともと自分の子ではないと家から追い出してしまったそうな。』
どちらも、伝わる伝承の血なまぐささ、といい、身勝手さは半端ではない。、
こんなに尋常では無いことをつたえているのは、なぜ?
その謎は、環濠集落遺跡扇谷遺跡出土の鉄製品が解くかもしれないと、ふと思った。
(↑①)
扇谷遺跡は、画面右端、いさなご山を水源とする竹野川とひさつぎ岳を水源とするますどめ川との合流点付近、かって形成していたであろう沼地の面した丘にある。
この弥生時代前期のこの遺跡から、砂鉄系原料による鋳造品で、鉄製品導入期の希少なものと評価される全長5.6㎝ 幅3.4cm、厚2.0㎝、重さ68gの板状鉄斧がみつかっている。
(↑ ②)
その原料とされる砂鉄の入手先について、山本昭さんが、「…但馬・丹後両国の国境から丹後半島にかけての山地は、出雲国に劣らぬ砂鉄の豊富な地方である。、、、但馬・丹後国の山地に包蔵される良質で豊富な砂鉄を考えるとき、扇谷遺跡出土の鉄斧、鉄滓の関連遺構、遺物、すなわち製鉄遺跡の出土に期待するのは多くの関係者の願いであろう。」と書かれているよと斉藤さん※がしょうかいしてくださっているのをおもいだした。
良質で豊富な砂鉄が丹後国の山地には包蔵されている、、、と山本さんはおっしゃっているのです。どちらも、花崗岩とその風化した真砂土でできていて、砂鉄を多く含んでいる地質の山だ。大饗石、聖体とされる石は、鉄分を含んだ岩!万病に効く酒とは、実は鉄。炭と火を操り砂鉄を溶かして鉄にした、酒に喩えられたのは遺跡にでたような鉄製品!飛躍?なに、悪支配者を猿に、民衆を蟹にしたようなもので、許容範囲!追い出された!、そりゃそうでしょう砂鉄がなくなったということ、、、
斬り殺した、使うだけつかって追い出した等と伝えているのは、鉄 資源と技術の争奪戦ではなかったのか、、、
ふーむ、、、但馬・丹後国の山地に包蔵される良質で豊富な砂鉄
そうかぁ、、、、中国や朝鮮から買うよりも自前で見つけて作ることが出来れば、と考えたはず、日置の浜にも砂鉄、この鉄はどこからと考えたときに、この山と谷、鉄の谷と、てつを古代の言葉ではさとかせとかはつおんしていたらしい、野間の世屋姫は世屋側からもっていかれたものと推論できなくはないのですね。
こう考えるといまでこそ、京阪神の後塵を拝する環境先進市ではあっても、古代にあっては、現代鉄文明の発祥の地なんだともいえるわけです。
(↑京丹後市 最終処分場)
歴史の目は見えないものを見る目。
(↑ ③)
見えないものが見えると、弱い者でも強くなれる気がするのが不思議です。
※ 「謎の古代氏族鳥取氏 : 鳥取氏は捕鳥の氏族か 山本昭著大和書房, 1987.12
本書は、鳥取氏は捕鳥の氏族ではなく、金属関係氏族である、という主張を考古学の立場から精査し、論証した。出雲国荒神谷の有名な銅剣出土の地が鳥取氏に由縁があることを指摘したのは、本書がはじめてである」。 Amazon.co.jp「BOOK」データベースより.
※(①②③)は、扇谷遺跡 – 邪馬台国大研究inoues.net/tango/ohgidani.htmlから引用