ビフォー①
ビフォー②
上宮津から大江町へ越える、上りも下りもつづら折りの普甲峠のスキー場付近。
海山空の織りなす特徴的な景観に、大江山へきたなぁ宮津へついたなぁという感動の波紋が広がるところです。
「峠」 真壁仁
峠は 決定を しいるところだ
峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景に はいってゆけない
大きな喪失に たえてのみ
あたらしい世界がひらける
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
みちはこたえない
みちはかぎりなく誘うばかりだ
峠のうえの空はあこがれのようにあまい
たとえ行手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ
そのおもいを埋めるため
旅人はゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらしたりして
見えるかぎりの風景を眼におさめる
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ええことしはりましたなぁ!
道端に成長した木々が競り合う状態をさながら緑のトンネルといいます。しかし、場所によっては事情がことなります。
月日が立つ内に老化したり関係が変わります。改良手直し更新が適切にされるのがたいせつなんだとおもいます。
ここならではの感動を準備することが「おもてなし」というなら、まさにこれがおもてなし。
中世、この峠は若狭丹波丹後の境、防衛の要地として、国人、若狭武田氏、丹後一色氏三つどもえの戦が繰り広げられた地と伝えます。
また、また、サイトウさんは大宮町延利・由村金光 さんからの採話として 「普甲峠の通い嫁噺」を紹介されています。
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普甲ふこう峠(宮津市)をこえて、大川おおかわさん(舞鶴市にある大川神社)の方の村に通う、通い嫁さんがおっただそうな。あの長い峠を、夜の夜半にどうして通うだろう思ったら、なんでも頭に五徳ごとくさんをのせて、五徳の足に三本のローソクを立て火をつけて、胸には鏡をぶら下げ、手には鉄の火ばしの輪のようなもんをぶら下げ、じゃらじゃら音をさせて、化けものみたいにして、峠を越えては通っとった。
峠を下りたところに小さい池があって、そこまでくるとその女は、五徳をとり、池の水を鏡にして服そうをなおし、姿をようして、男の所へ通っとった。男は夜半に峠を越してくるのが不思議に思い、男はその女の帰る後をつけてみたら、そうだったんで、女の所に行って、
「お前は今日かぎり家へくるな」というたら、三日後にその池に死んだ女の死体があったと。『おおみやの民話』町教委・91
※ 丹後の伝説11 www.geocities.jp/k_saito
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「日本の峠100」というのがありますが、景観といい歴史といいいい伝えといい、普甲峠、必ず +ワンに採用されますよ。