彼岸花は、天照大神の化身!
今でこそ、稲刈りの済んだ田圃の畦に咲いています。けれども昭和30~40年代前半くらいまでは、「田植えが6月後半、稲刈りが10月から11月にかけて」だったと言う話を聞いて、やっぱりそうだとおもっています、
というのが、天照大神というのは天体にすればお日様で農業を司る神じゃないですか、では花にすれば何だろうかということですが、そこで彼岸花は、天照大神の化身説。
(↑ 9月27日 世屋高原休憩所)
9月はまだ稲の登熟期。台風が襲う時期でもあります。そんな時に、畦に必ず顔を出す花が彼岸花,。そこにはトリックというのかマジックがあるのかもしれませんけれど、「この花を私だとおもいなさい、もう一息ですよ、風で倒れないように、大水でながされないように取り入れまで守ってあげましょうぞ」と天照大神さまのメッセージを携えて咲いてくださっていると、みんな田植えや草取りなどの苦労がいやされ、大風にも立ち向かう気力を湧かせたのだとすれば、そのトリックも意味があります。
府中から江尻にかけての付近は、古代文化渡来の地とされ国衙のおかれたところです。
そしてその付近が橋北路で、彼岸花の赤がもっとも濃いところなのです。
(↑ 9月27日 丹後郷土資料館旧永島邸付近)
彼岸という言葉から仏教との関係を思いますけれど、それ以前の渡来の文化と彼岸花とのなにかしらのつながりを思いながら、秋の丹後路を走るのも楽しいものです。