宮津エコツアー · ノギクとリンドウ

ノギクとリンドウ

ここで やすんでいきませんか
すこし おはなしませんか

きのうみた ゆめのはなしや
あしたの おてんきのこと
かぜのはしるすがたや
ひかりの こぼれぐあいについて

そして
あなたが どこからきて
どこへいくのか なども・・・

ゆっくりゆっくり
うなづきあって
しばらくいっしょに
すごしませんか

・・・・・・・・・・
「のぎくみちこ」さんに誘われたら寄っていかないわけには!

そして、話題はどうしても美しい里山の習慣風情自然を背景に恋心を育てる 政夫と民子の運命を哀しく描いた小説「野菊の墓」※の話になってしまいます。、、、、

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ちなみに二人が山の畑に綿摘みに出かけたのは、陰暦の九月十三日のこと。二人はノギクとリンドウを介して心を交わします。
まず、政夫が、民子をノギクにたとえて気持ちを表す場面。
、、、、、、
道の真中は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしとに濡ぬれて、いろいろの草が花を開いてる。タウコギは末枯うらがれて、水蕎麦蓼みずそばたでなど一番多く繁っている。都草も黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊がと僕は吾知らず足を留めたけれど、民子は聞えないのかさっさと先へゆく。僕は一寸脇わきへ物を置いて、野菊の花を一握り採った。
民子は一町ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、あれッと叫んで駆け戻ってきた。
「民さんはそんなに戻ってきないッたって僕が行くものを……」
「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好このもしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」
民子はこれからはあなたが先になってと云いながら、自らは後になった。今の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は一寸途切れてしまった。
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一方、民子が政夫をリンドウに例え気持ちを表す場面
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民子は云いさしてまた話を詰らしたが、桐の葉に包んで置いた竜胆の花を手に採って、急に話を転じた。
「こんな美しい花、いつ採ってお出でなして。りんどうはほんとによい花ですね。わたしりんどうがこんなに美しいとは知らなかったわ。わたし急にりんどうが好きになった。おオえエ花……」
花好きな民子は例の癖で、色白の顔にその紫紺の花を押しつける。やがて何を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。
「民さん、なんです、そんなにひとりで笑って」
「政夫さんはりんどうの様な人だ」
「どうして」
「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし竜胆の様な風だからさ」
民子は言い終って顔をかくして笑った。
「民さんもよっぽど人が悪くなった。それでさっきの仇討あだうちという訣ですか。口真似なんか恐入りますナ。しかし民さんが野菊で僕が竜胆とは面白い対ですね。僕は悦よろこんでりんどうになります。それで民さんがりんどうを好きになってくれればなお嬉しい」
、、、、、

さて、「らちもなき事いうて悦んでいた二人」に待っていたのは「毎日七日の間市川へ通って、民子の墓の周囲には野菊が一面に植えられた。」という無情の結末。なんでこんなことになったのだい!とのぎくみちこさんと嘆き合うわけです。

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それはそうですが、もう一面ではその世界は暮らし方、考え方も含めて里山の原風景、たとえば、、、
◆村の或家さ瞽女ごぜがとまったから聴きにゆかないか、祭文さいもんがきたから聴きに行こうのと
◆その次の十畳の間の南隅に、二畳の小座敷がある。僕が居ない時は機織場で、僕が居る内は僕の読書室にしていた
◆屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎しいの樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の忌森で村じゅうから羨ましがられて居る。昔から何ほど暴風あらしが吹いても、この椎森のために、僕の家ばかりは屋根を剥がれたことはただの一度もないとの話だ。
◆「お前は手習よか裁縫です。着物が満足に縫えなくては女一人前として嫁にゆかれません」
◆民子は、例の襷に前掛姿で麻裏草履という支度。二人が一斗笊一個宛ひとつずつを持ち、僕が別に番ニョ片籠と天秤とを肩にして出掛ける
◆ここから見おろすと少しの田圃がある。色よく黄ばんだ晩稲に露をおんで、シットリと打伏した光景は、気のせいか殊に清々しく、胸のすくような眺めである。

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こういうところがいいねえ!さらに、

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◆八時少し過ぎと思う時分に大長柵の畑へ着いた。十年許り前に親父が未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石※を持っていると云えば、世間体はよいけど、手間ばかり掛って割に合わないといつも母が言ってる畑だ。三方林で囲まれ、南が開いて余所よその畑とつづいている。北が高く南が低い傾斜こうばいになっている。母の推察通り、棉は末にはなっているが、風が吹いたら溢れるかと思うほど棉はえんでいる。点々として畑中白くなっているその棉に朝日がさしていると目まぶしい様に綺麗だ。

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◆ 僕は水を汲んでの帰りに、水筒は腰に結いつけ、あたりを少し許り探って、『あけび』四五十と野葡萄一もくさを採り、竜胆りんどうの花の美しいのを五六本見つけて帰ってきた。帰りは下りだから無造作に二人で降りる。畑へ出口で僕は春蘭しゅんらんの大きいのを見つけた。
「民さん、僕は一寸『アックリ』を掘ってゆくから、この『あけび』と『えびづる』を持って行って下さい」
「『アックリ』てなにい。あらア春蘭じゃありませんか」
「民さんは町場もんですから、春蘭などと品のよいこと仰おっしゃるのです。矢切の百姓なんぞは『アックリ』と申しましてね、皸あかぎれの薬に致します。

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◆秋の日足の短さ、日はようやく傾きそめる。さアとの掛声で棉もぎにかかる。午後の分は僅であったから一時間半ばかりでもぎ終えた。何やかやそれぞれまとめて番ニョに乗せ、二人で差しあいにかつぐ。民子を先に僕が後に、とぼとぼ畑を出掛けた時は、日は早く松の梢をかぎりかけた。
半分道も来たと思う頃は十三夜の月が、木の間から影をさして尾花にゆらぐ風もなく、露の置くさえ見える様な夜になった。今朝は気がつかなかったが、道の西手に一段低い畑には、蕎麦の花が薄絹を曳き渡したように白く見える。こおろぎが寒げに鳴いているにも心とめずにはいられない。

※越石こしこく
江戸時代,知行割に際して1村または数村の村高合計が所定の知行高に不足する場合,その不足分を隣村の村高から補充すること,
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里山エコツーリズムの聖書みたいな世界だというのが、「のぎくみちこ」さんと一致したところです。

「野菊の墓」作者 伊藤左千夫 1906年1月、雑誌「ホトトギス」に 発表。 15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描き夏目漱石が 絶賛した話。

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