宮津エコツアー · 世屋の里・バス巡り③ 龍渓

世屋の里・バス巡り③ 龍渓

2012/05/21
どう見ても絶景!何度きても飽きない絶景!季節ごとに訪れたい絶景!として、「宮津の宝物」と来たら、何を思い浮かべられますか、天橋立OK これは別格。金引の滝OK 一本桜と若狭湾OK 世屋の棚田群OK ほかに!?


ちょっとちょっと、コレ、ワスレテイマセンカ?  龍渓を。谷底の激流を覆ういくつもの種類の緑は、アワブキやリョウブ。絶壁にはびっしりとタニミズやギボシ張り付いています。
ここでも、k_saitoさんのお力を拝借して、『京都丹波・丹後の伝説』掲載の世屋の龍渓橋ノ記事を紹介します。

昔、丹後半島の山間地、上世屋(宮津市)と下世屋の間の、世屋川をまたぐ橋の近くに〝竜のつぼ〝という穴があり、そこには大きな竜が住んでいて、いつも穴の中で金の玉をくわえてトグロをまいていた。めったに姿を見せない。雨が降って濃い霧があたりにたちこめると、姿をあらわすが、その姿は頭のいい人でないと見えなかった。
近くの村に頭のいい、冒険心に富んだ若者がいた。「ぜひ、自分も竜をみてみよう」と、その橋の近くに行き、何日もそこで竜の出てくるのを待っていた。ところがいっこうに雨も降らず、霧も出ないカンカン照りの毎日。「ああ、いやんなってきた。いくら待っても竜はあらわれる気配がないわ」-とあきらめて帰ろうとしたとき、急に黒い雲が空をおおって 雨が降り出し、あたり一面に濃い霧が立ち込めてきた。
すると、ふしぎなことに、竜のつぼの中がはっきりと見えはじめ、竜が頭をもたげて、だんだん外に出てきた。口には玉をくわえ、ギョロリとした恐ろしい目で若者をにらみつけた。若者はもう血の気がサッと引き、顔はまっ青。逃げようにも腰が抜けてどうにもしょうがない。竜は少しずつ若者の方に近づいてくるので、若者は必死になって橋のたもとに身を隠した。
ガタガタふるえながら竜の動きをみていると、竜は、ものすごい大きな音をたてながら橋のあたりから空高く昇っていき、見えなくなった。命の縮まる思いをした若者は、この橋を「りゅうきえるはし」と名付けたが、人から人へいい伝えられるに従って、発音がなまり「りゅうけいばし」となったのだそうだ。
以上が伝説。次は、訪れたk_saitoさんの感想。
この伝説にでてくる橋の名は、現在、宮津市上世屋と下世屋間にあって世屋川にかかる龍渓橋にその名を留めている。
この龍渓橋は昭和二年に府道の開通に伴い建設されたもので、伝説の橋とは違い、昔ながらの「りゅうけいばし」は、少し下った旧道の橋だったのかも知れない。この旧道の途中には〝犬くずレ〝という断崖に刻みこんだような危険な道があり、雨が降ったり霧がかかったりしたときなど、足を踏みはずして十数メートル下の世屋川に転落、死ぬ人が多かったという。
この伝説もそうだが、人の力ではどうしようもない大自然の恐ろしさを、恐ろしい生き物、竜にたとえた伝説は多い。昔の人の素朴な自然への畏怖がそうさせたのだろう。龍渓橋の話でも、恐ろしい竜は、そそりたつ断崖下を流れ、いくたびか道行く人を飲みこんできた世屋川をたとえたのでは-と考えても不思議ではない。実際、龍渓橋に立ち、真下の世屋川を眺めるとき、その高さに足がすくみ、いまにも吸い込まれそうになる。昔の人が感じた恐ろしさが竜の消えたいまもヒシヒシと伝わってくるようだ。
、、、と。リゾート開発に向けたバイパスができたため、この道も旧道になりました。合流点にたってらっしゃるお地蔵様、かっての龍渓通行の安全を見守ったお地蔵様です。

また、道の山側の絶壁には、人力で削ったあとが残っています。昭和29年、バス路線ヲ上世屋まで延伸させるための工事です。上世屋の奥には、木子、駒倉、さらに小杉、、味土野がある、その住民の足を確保しなければならない、時の村長、吉岡初衛氏渾身の仕事でした。

バス路線だけは守れ、はつおっさんの遺言の一つでした。

ここを見ずして、世屋の里をわかったとは言わせないほどの要所です。ぜひ、
宮津の「絶景」に加えてください。
この谷を遡航を試みた人たちがいます。世の中、いろんな人ガいらっしゃるものです!

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