年末年始は少雪で推移し、このままふらん場合には「雪請いせんならん」等と冗談をいうておりましたが、それなりに降ったのでまあ一件落着。
「雪請い」はしなくてもすんだのです、けれどやらなきゃならんばあいにはどうやるか、
形としては雨乞いに準じてと言うことになるんでしょうけれど、実はその準備はしておりません。
さて、その雨乞いについて、宮本常一編著の旅の民俗と歴史8山の旅に紹介してありました。備中の人古河古松軒の九州旅をしたおりの紀行文『西遊雑記』からとして。
「水俣はかなりの町場で、古松軒が訪れたときは水涸れで数十ヶ村が申し合わせて雨乞いをするというときであった。海岸にいってみると、数百人もの人が集って、掛け作りの小屋に、女の形につくった一丈ほどもある藁人形に紙でつくった大振袖の着物を着せた物を祀り、社人の祭文のあと、太鼓をたたいて、大勢の人々が、『龍神竜王未神々へ申す、波風をしずめて聞きめされ、姫は神代の姫にて祭り、雨をたもれゝ雨が降らねば木草も枯れる、人だねも絶える、雨をたもれ、姫をましょゝ』と替わりあって雨が降るまで唱え、雨が降ったら、藁人形を海に流すのだということであった。」
1783年7月に水俣に入ったときの事だそうです。
ちなみに「200年ほど前までは、村々の娘たちを集めてくじを引かせ、それに当たった娘を人柱として龍神にささげたものだという」こと。
雪が無いとないでこまるだが!という願いを聞き届けてもらっての大雪なら、感謝かんしゃです。