冬、日置から山間部へのぼっていくにつれて、雪の量と質が一気にかわるところがあります。
地図では、標高300mの等高線で示されています。
谷側に生育している桂が、この付近で気候が温帯から冷温帯に変わることを示していることを示しています。
さて、この坂を土地では「ばっさか」と呼ばれています。坂はわかるのですが、「ば」はどういう意味なのだろうとおもっていましたら、調べてらっしゃる方がありました。
「村には、城を中心として名付けられた地名が多い。城・しろと言われるところは、上世屋城跡で、上野甚太夫の城跡である。室町幕府第15代将軍足利義昭に仕えていた上野中務大輔の子息で、足利家滅亡後、一色松丸に仕えて丹後にあった。馬場と呼ばれるところで、馬の稽古に励んだ。現在はいささかの跡形もなく、ただ、城、本丸の馬場、城のおて(横)、馬場坂(ばっさか)の地名として残り、畑あるいは宅地となっている。また、昔家老屋敷だったと言われる家がある。」このように、戦国時代の上世屋城に付属する馬場にまつわる地名、馬場坂ばばさかが、(ばっさか)になったものとされています。 上野甚太夫さんは戦国丹後国人名事典にでています。
ところで、上野甚太夫さんの親父さんが室町幕府第15代将軍足利義昭に仕えていた上野中務大輔さんだということになると、俄然おもしろいことになりますね。というのが、細川藤孝さん、この方が義昭さんを将軍に祀りあげたといわれているじゃないですか。細川軍の丹後侵攻にあたっては、一色派との総力戦になるのですが、その混戦の中で、縁を頼っていち早く細川派と手を結んだかも知れませんね。
としたら、この「ばっさか」も本能寺の変ご、細川家から離縁され味土野へ幽閉蟄居されるさいに通ったコース説を裏付ける地名かも知れません。