大フケ湿原の3月4日。
この湿原は、上世屋と木子の間の峠にあります。湿原の水は、木子側へと上世屋側への二方向へ流れていきます。
木子側へ流れた水は、宇川となって日本海へ、一方上世屋側へ流れた水は、世屋川となって宮津湾へと注いでいきます。つまり、分水界にできた湿原なのです。
さて、そこで「大フケ」ってなんやねん、となるわけです。その説明は看板にはないので、「なんなんでしょうねぇ!」と。
それに関して、「味土野誌」に「フケヶ谷」と呼ばれているところがあるというのを見つけました。場所は、味土野と内山との間の境をなす高尾峠、この峠も、味土野側は宇川へ、内山側は竹野川となって異なる水系をなしています。この峠一帯にも湿地があり、この付近は両地区の入会地として利用されていて「フケヶ谷」と呼ばれていたという記事です。
大フケ湿原と「フケヶ谷」。フケの意味について何となく検討が付けられました。もう一息チェックしてみましたところ、同じように疑問を持った方がいらして、その方は
柳田國男のさんも疑問をもたれて、調査分析され、それが作品に次のように反映集録されているとアップして下さっています。
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①現に関東の田舎の名もない古池にも、人が近寄れば必ず水玉の揚がるものが幾つかある。
多くは九州でムタといい、東部地方ではフケまたはヤチなどと名づけて、腐った植物でできたような低い湿地である。
(『柳田國男全集11』1990年「妹の力」、ちくま文庫211頁)
②ムタは関東・東北ではヤチといい、中部ではクゴともフケとも
称して、排水のむつかしい平衍なる湿地のことである。
(『柳田國男全集6』「一目小僧その他」1989年、ちくま文庫461頁)
③この蒲原一帯の水田は、農夫が臍のあたりまでも泥に浸って耕耘をする。
いわゆるふけ田の優なるもので、(以下略)
(『柳田國男全集3』「北国紀行」1989年、ちくま文庫287頁)
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つまり、フケとは臍のあたりまでも泥に浸るような湿地という地形用語。かっては各地にあったこういう湿地は今では改良されて、名前には「ふけ」という音を残すものの、カタカナ表記されたり漢字では「富計」とか「浮気」になっているため、意味不明!と悩ましているということのようです。
さて、この大フケ湿原を水源湿地にする宇川が谷を刻んで始めて開けた所にある「須川」で、福寿草が咲き始めましたよ。
春一番、せいだしなるなぁと声をかけてみると、冬越ししたこんにゃく玉をうえつける予定だ、草が覆うと畝作りがえらくなるので、いまからやっているのだということでした。