ジオパークガイドをされている中江先生に案内して頂いた海岸段丘にある古墳群。
6世紀ころここに暮らした人たちの人生の記録です。
巨石をくみ上げさせる権力権威はやはり海からきたものなんでしょう。この地に漂着し、さらに内陸に向かい、別ルートから渉ってきた他の部族と合従連携を繰り返し国としての形を作っていった人たちのスタート地点です
さて、ここに春を告げて咲くのはハマダイコン。
これについてはダイコンが逃げた物との説明でしたが、それはそうかしら?「 栽培ダイコンの野生化したものといわれていたが最近では、藤田智「恵泉 野菜の文化史(1)ダイコン「、「ハマダイコンの多くは、栽培種の逸出野生化したものでなく、大 陸から古い時代に渡来した野生ダイコンの後代」などとされる。 」
とおっしゃる方がいらっしゃいます。この説がいただけるなら、間人大成古墳群付近のはまだいこんはこの古墳を作った人たちと共にやってきた、さらに想像すれば、彼らが食糧として携えてきたものかもしれないのです。
海岸部には エンタシス の柱のそばにふくよかな婦人と子どもの像。はしうど皇后 聖徳太子 法隆寺のイメージなんですって。
この制作設置費、ふるさと創生基金を使用して、ということですが、いくらだと思いますか?
50,000,000円なんですって!。