香河川
なんと読むか
「かがわがわ、 でしょ!」
ブー
え、じゃ、かかがわ、とか、こうかせん!
正解は¡
ほほう、、
「かごがわ」ねぇ
いいえ、「かこがわ」
、はぁあ、(*´Д`)
どうなってんねん、、とは思っていたのです。
かご・かこ は、「鹿児」「加古」「可児」「賀来」「火子」「水主」、、はけとはげ、かきとがき、濁点のあるなしでは大違いなのですから。
それにしてもこちらは香河、香川選手、香川県とかんけいあるんやろか、それにしてもわからん名やなあと思っていたのです、
ところで、「京都発見四丹後の鬼」で、丹後七姫というけれど、もっと美人がいて、とおっしゃっているのを読みました、
七にこだわることには意味があるので、枠を増やすのはいかがなものか、ドラマとか作品とか物語性とか厳選すべきとは思うのですが、丹後には八番目の姫かとも思えて彼女はどういう人なのかということに興味を持ったわけです。
なんでも、淳和天皇の第二后後に空海の弟子として尼になりその教えに生きた、空海のなくなる前日に33歳でなくなっているという身の上の方で、その名を「如意尼」とおっしゃる。そしてその出身が「丹州余佐ノ郡の人なり」 「香河」なのだと。
その筆者は梅原猛さん 、というても若い人はだれ、ということでしょうが、今の磯田先生のような人なんですよ。
こりゃあ行ってみんとあかんとおもいました。
その記録は、地元にもありました。
『丹哥府志』の【香河村】の項にその話をフォローアップされていて、
◆丹後名奇曰。古老の伝にむかし京師の沙門石川村の辺を徘徊せしに山川の水時ならず匂ひければ、怪しみて流をつたひ山の方へ入りぬれば、香気ますます盛んなり、時に十歳ばかりの女子をみる、其顔ばせ玉の如し、かの香気は此女子より出るなり。よって奇異の思をなしただちに其親に請ふて都に携へ帰る。後に此女子朝廷に聞て后とぞなりぬ。
◆元亨禅書云。如意尼は丹後与謝の人なり、天長帝の次妃となるといふは此人の事なるべし。薙染の後故郷に帰り一宇の精舎をたつ、是を善法寺といふ。今名み残りて田の字となり其手づから彫刻せし観世音菩薩は其隣村神宮寺といふ寺にありとかや。抑香河は和名抄にいふ神戸なりしが川の匂しより香河とぞなりぬ。
と斎藤さんがアップ。
香河川が清流であることには間違いありません、
ほんとにこの河が香ったのか、、、かわいい娘がいて、、、与謝には「美人」が多い、これは言えるかもしれません、、格別にかわいい娘が選ばれて都に連れていかれて帝の目に留まり、さらに空海に近く使え、尼になり、ふるさとに戻り余生を過ごした、そういう女性がいたというこしはあったかもしれません。しかし、それが事実でも、脚色されているんでしょうね、
さて、河が香るので、、という地名語源説については、想像力豊かなおっさんの手で、面白く作りあげられたもの、、
河が香ったので怪しく思って辿っていったらかわいい娘に出会い、その香りはその子から出ていた、頼んで都の土産に連れて帰ったという話ではありませんか。「元亨禅書云」というのは、鎌倉時代のもの。つまり、かご・かこ は、「鹿児」「可児」「賀来」「火子」「水主」「籠」など。そのうち「香河」という音を当てられたものだから、その意味について想像を始めた「オヤジギャグ」とも言えず、おっさんのいうことだで嘘はなかろう、だげな話として伝承されたのかもしれないとおもいました。
さて、ギャグなら参戦させてもらえばいいわけで、
〇匂いというのは色目のこと、娘は色が白くて清流のニンフのようだったんだろうと、天皇の后になり、弘法大師との縁も得たという著名人になった、それにあやかろうとか偲んでという気持ちだ、川を見ているうちに流れの中に「匂う」ようにかわいい娘が見えてきていうので、地名にもその漢字をあてた、
〇あるいは、石が花崗岩、いい酒ができたのでその香りが漂っていたのかもしれません、今でも、「与謝娘」という美味い銘酒が存在します。
など、全国あちこちに「かこ・かご」かご地名があることとの関係の分析はそれはそれでおいといて、この川の「香河」話、楽しみながら、後にしました。
梅原先生、お人が悪いですよ、「空海との関係は怪しい」空海さんが桜の木で彫ったと伝わる観音様は美女の肉体の感じられるものだが、そのモデルは如意尼ではなかったか、そうだったら、「強い愛の関係」があったのではないか、とかさらにあおって空想をたくましゅうせられるんですから。