「花見」にいこうかぁとでもいおうものなら
こんな暑いのに、なにかんがえとるうー と一蹴されかねないのが、サルスベリ。
■ 百日紅 燃え白雲は 峰をなす 林翔
■すぐそこに 海のある寺 百日紅 鎌倉喜久恵
花の期間が長いので重宝だし、赤と黒、夏にサルスベリが咲かなかったらそれこそ異常、日本の夏にはなくてはならない花ですけれども、花見には適さない花です、
なので、「全国の百日紅の名所hananomeisyo.sakura.ne.jp/zenkoku-sarusuberi.htm – キャッシュ」を検索すると、そこにはサルスベリの名所はない、、、。「百日紅の花はともすれば見過ごしてしまう。 どこにでもある花だからあろうか? それゆえなのか、百日紅を集中的に植えている所は少ない。 百日紅の名所として案内する所がほとんど無いというのが実情である。」と。
木のサイズが大きからず、小さからずのサイズ、そのためお寺に、お墓に 庭に閉じこめられているからかもしれません。
もし、お寺から、墓から 街路樹から、解放する適地があるとするなら、それは世屋の里かも、、、
風は高原風、広々とした緑の里山景観に映えることは請け合い。
上世屋のサルスベリを見にいこう!
そんなことが夢ではないよというように、棚田跡の荒れ地に植えた一本サルスベリが花をつけました。
■青天に 映ゆ百日紅 いま青春 丹羽杏華
『花無心』良寛
「花 無心にして 蝶を招き、 蝶 無心にして 花を訪ぬ。花 開くとき 蝶来たり、 蝶 来たるとき 花開く。
吾(われ)もまた 人を知らず。 人もまた 吾を知らず。知らずして 帝則(ていそく)に従う。」
(花は、蝶を招こうとして咲いているのではなく。蝶に、花を訪ねようという心があるのでもない。花が咲くと、蝶が飛んできて、蝶が飛んでくる時に花が咲いている。自分も、他の人々のことは知らないが、他の人々も自分のことを知らない。互いに知らないながら、天地の道理に従って生きている)