日置・妙圓寺は、サクラ寺です。
サクラといっても、ヤマザクラなのです。
おっさんもこのヤマザクラが自慢なのです、なにしろ四本の木がいずれも樹齢100年は経つ巨木なのですから。
さらに、
しきしまの やまとごころを ひととわば; あさひににお(お) やまざくらばな
実にすらすらと暗唱してくださいました。
国学の本居宣長の歌だということですが、「この歌が好きだったのは誰だと思う?」
(え!)
「よしだしょういんだぞ!」
吉田松陰、、なんだかヤマザクラがとんでもなく好きになりました。
ところで、本居宣長がこのヤマザクラをどんなに愛していたのかを評論家・小林秀雄さんが学生を相手に語ってらっしゃいます。
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本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 』(12-14頁)
諸君は本居さんのものなどお読みにならないかも知れないが、「敷島(しきしま)の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(やまざくらばな)」という歌くらいはご存じでしょう。この有名な歌には、少しもむつかしいところはないようですが、調べるとなかなかむずかしい歌なのです。先(ま)ず第一、山桜を諸君ご存じですか。知らないでしょう。山桜とはどういう趣の桜か知らないで、この歌の味わいは分るはずはないではないか。宣長さんは大変桜が好きだった人で、若い頃から庭に桜を植えていたが、「死んだら自分の墓には山桜を植えてくれ」と遺言を書いています。その山桜も一流のやつを植えてくれと言って、遺言状には山桜の絵まで描いています。花が咲いて、赤い葉が出ています。山桜というものは、必ず花と葉が一緒に出るのです。諸君はこのごろ染井吉野という種類の桜しか見ていないから、桜は花が先に咲いて、あとから緑の葉っぱが出ると思っているでしょう。あれは桜でも一番低級な桜なのです。今日の日本の桜の八十パーセントは染井吉野だそうです。これは明治になってから広まった桜の新種なので、なぜああいう種類がはやったかというと、最も植木屋が育てやすかったからだそうで、植木屋を後援したのが文部省だった。小学校の校庭にはどこにも桜がありますが、まあ、あれは文部省と植木屋が結託して植えたようなもので、だから小学校の生徒はみなああいう俗悪な花が桜だと教えられて了(しま)うわけだ。宣長さんが「山桜花」と言ったって分からないわけです。
「匂う」という言葉もむずかしい言葉だ。これは日本人でなければ使えないような言葉と言っていいと思います。「匂う」はもともと「色が染まる」ということです。「草枕たび行く人も行き触れば匂ひぬべくも咲ける萩かも」という歌が万葉集にあります。旅行く人が旅寝をすると萩の色が袖に染まる、それを「萩が匂う」というのです。それから「照り輝く」という意味にもなるし、無論「香(か)に匂う」という、今の人が言う香り、匂いの意味にもなるのです。触覚にも言うし、視覚にも言うし、艶っぽい、元気のある盛んなありさまも「匂う」と言う。だから、山桜の花に朝日がさした時には、いかにも「匂う」という感じになるのです。花の姿や言葉の意味が正確に分らないと、この歌の味わいは分りません。
宣長さんは遺言状の中で、お墓の格好をはじめ何から何まで詳しく指定しています。何もかも質素に質素にと指定していますが、山桜だけは本当に見事なものを植えてくれと書いています。今、お墓参りをしてみると、後の人が勝手に作ったものですが、立派な石垣などめぐらし、周りにいろいろ碑などを立てている。しかし肝腎の桜の世話などしてはいないという様子です。実に心ない業(わざ)だと思いました。
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ついでに ヤマザクラの雑学。
■ヤマザクラ(山桜、学名:Cerasus jamasakura)はバラ科サクラ属の落葉高木。日本に10種あるサクラ属の基本野生種の中でも代表的な種で、和歌にも数多く詠まれている。 サクラの仲間では寿命が長く、ときに樹高30mを超える大木になる
・花は直径3センチほどで、色は白が基本だが、ほんのりとピンク色を帯びるものもあり、実生によって自然に変異したバリエーションがある。現代人にとっては地味に見える花だが、ソメイヨシノが普及する明治時代以前には広く国民に好まれていた。
■・6月から7月にかけて直径1センチ前後のサクランボがなるものの、苦味があって食べられない。
■他のサクラ類同様、剪定に弱い上に移植も難しいため、雄大な樹形を楽しめる場所に植える必要がある。
■【品種】・数多くの変種、園芸品種があるが、「薄毛山桜」、「大山桜」、「紅南殿」、「兼六園熊谷」が特に知られる。
ところで、今日は一日新元号「令和」で持ちきり。 出典は現存する日本最古の古典「万葉集」から。32首の序文にある梅の花の歌、「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(かぜやわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」という文言から引用したといいます。
同じ花でも、ウメに遅れをとったかんもないわけではありませんが、
「令月の用語解説 – 1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」2 陰暦2月の異称。 かしんれいげつ. 意味, めでたい月日のこと。 「嘉辰」はめでたい日。 「令月」はめでたい月」。
この意味で「令」を使われたら、3月4月に咲くサクラはかないませんけれど、「匂う」という感じではヤマザクラもまけちゃいないと思います。
(↑ 伊根湾のヤマザクラ)
梅の花、咲きて散りなば、桜花、継ぎて咲くべく、なりにてあらずや 藥師張氏福子
さて、万葉植物は今の里山植物、そんなことで、ここには、ヤマザクラを植えようとおもいました。
あしひきの、山桜戸を、開けおきて、我が待つ君を、誰れかとどむる 作者 不明
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あらためて、日置・妙圓寺、みのがせませんよ!