宮津エコツアー · 日置の桜巨樹

日置の桜巨樹

日置・金剛心院のソメイヨシノ。

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この樹の胸高周径325cm。

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一本で勝負しているのはさすがです。日置は、「丹後国風土記逸文」に、

浦嶼子
丹後の国の風土記に曰はく、與謝の郡、日置の里。此の里に筒川の村あり。此の人夫、日下部首等が先祖の名を筒川の嶼子と云ひき。爲人、姿容秀美しく、風流なること類なかりき。斯は謂はゆる水の江の浦嶼の子といふ者なり。…

とあるその「日置の里」で、古い歴史を刻んだ里にふさわしい巨樹です。

どうどうと勝負してらっしゃるということなら、東京からビックニュース。

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今年の本屋大賞は、日置中学校※現在閉校で教鞭をとりながら、『天国はまだ遠く』をものされた瀬尾まいこさんが選ばれたということです。

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ちなみに日本各地にある「日置」という地名人名の由来について、https://tangonotimei.com/doc/tango/ooe/miyazuidx.htmlで、斎藤喜一さんが、

水谷慶一氏の著、『知られざる古代』を取り上げ、

…さて、これだけ同一の緯度上にかなりの密度でならぶ「日置」であるが、これをどのような氏族とみるかは学者によって実にまちまちである。この方も、これまでの説をいちおう整理しておこう。
①太陽神をまつり、暦法・卜占と関係のある集団とみる説。これについては第四章でかなり詳しく述べた。柳田国男や折口信夫によって代表される。
②浄火を常置し、これを管理する集団とみる説。いわゆる「消えずの火」や「火継ぎの神事」にかかわったものとし、のちに宮廷で油火と蝋燭の供給を受け持ったとする。これは民俗学者の中山太郎らによって代表される。
③日置は「ヘキ」と読むのが正しく、もともと戸置の字を当てるべきで、これは租税を徴集するために戸数を調べ置く意味だという説。江戸時代の国学者、伴信友や太田亮によって代表される。

と紹介してくださっています。

日置には、天の神様が地に降りてこられるときの目印の火を焚いていたという②浄火を常置し、これを管理する集団とみる説。に基づくと思われる話が伝承されているとのことです。

 

 

 

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