宮津エコツアー · 7世代先のための、、、

7世代先のための、、、

7世代先を見据えて、、

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明田の無人販売所に、畦豆に添えてあった名刺です、
「持続可能な農業の確立」、この志や良し!

コピー (1) ~ IMG_1076

さて、7世代後というと、子、孫、ひ孫、、そのあと、次のようになるそうです。
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孫(まご、grandchild
曽孫(そうそん、ひまご、ひこ、ひこまご、ひいまご、great-grandchild)
玄孫(げんそん、やしゃご、great2-grandchild)
来孫(らいそん、great3-grandchild)
昆孫(こんそん、great4-grandchild)2006年に116歳で死去した米国人女性エリザベス・ボールデンは、昆孫が75人いたという。

仍孫(じょうそん、great5-grandchild)
直系7親等で昆孫の子、来孫の孫、玄孫の曽孫、曽孫の玄孫、孫の来孫、子の昆孫、孫の孫の孫の子である。礽孫(読みは同じ)とも書く。本人を1世とすれば8世(7代後)の末裔である。意味はつるの子。

雲孫(うんそん、つるのこ、great6-grandchild)
直系8親等で仍孫の子、昆孫の孫、来孫の曽孫、玄孫の玄孫、曽孫の来孫、孫の昆孫、子の仍孫、孫の孫の孫の孫である。本人を1世とすれば9世(8代後)の末裔である。意味は雲のように遠い孫。
雲孫よりもあとの世代の呼称は特に決まっておらず単に雲孫の子や雲孫の孫と呼び、前者は直系9親等、後者は直系10親等にあたる。
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なので、7世代後というのは、  仍孫(じょうそん、great5-grandchild)ということになるのでしょう。

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七幻・ななげんさんの畦豆、レンジで7分、美味しくいただきました。

さて、この里、「あけだ」は、明田と表記します。

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(正面山の稜線右端部分の向こう側が味土野)

明るい田圃では意味が通らないわけで、暴れ川、竹野川の側の立地からみて、そこを開墾し田圃を確保したと考えると、「開田」と理解する方がいいという説が一般的です。これは「田」に着目した理解です。

一方、根拠は無いですが、「明」に着目すると別のものがみえてきます。

明智の明です。本能寺の変以後、明智の血筋は歴史から消されました。

しかし、生き残った人もいるのです。彼らは、名字を変えました。その一つが、「明田」と言われます。つまり、五十河の里この「明田」は、明智の残党の住み着いた村である。

なぜ、ここなのか、理由はあります。正面の丹後山塊にある里、ガラシャが幽閉されていた味土野との関係です。明智のお姫様を守るため、明智の残党は明田と名を変え、住み着いた、こういう理解です。

明田にある神社の名も変わっています。「心木」神社と言います。

何世代もさかのぼって、この里に漂う歴史の怪しいムードが感じられませんか。

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