宮津エコツアー · 雪舟と義満と藤孝と天橋立

雪舟と義満と藤孝と天橋立

宮津・八幡山城に立つ、九曜紋の幟旗!

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丹後の統治を任された細川藤孝がこの山に入城したのが、1580年・天正8年のこと

この山の標高165m。足利幕府第三代将軍、足利義満をして六度訪れ、「玄妙なり」と言わしめた天橋立景観、どの位置に立ってそういったとは、記録にはありません。それは幸いなことなのでしょう、ここだろういやそうじゃないと考えることが出来るのですから。

玄妙とは、「・・・幽玄微妙なること。真の真に通ずるさま。なんとも言えない奥深さ。単純でなく、容易でなく、素晴らしい。しっとりと落ち着いて、心惹かれる感じや雰囲気」という意味です。-幽玄微妙という言葉は「非常に趣き深いという「幽玄」という表現を強調したものだと言えるでしょう。 微妙という言葉には趣深く、何とも言えない美しさや味わいがあるという意味を持ちます。 一言では言い表せないほどの繊細さがある」という意味です。

趣深く、何とも言えない美しさや味わいを感じさせるスペシャルな絶景はどこからなのか、いろいろ挙げられてはいますが、このポイントからですよ、と言われたら、容易にそうかもと頷かせる説得力を持っているのが、この山城の本丸付近からの眺望。

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さて、雪舟の橋立来訪は、明応10年( 1501)から永正3年(1506)の間とされます。

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水墨画を極めた老境の禅宗画家、雪舟を天橋立に導いたのは、義満のいった「玄妙なり」という一言だったような気がしています、その「玄妙」を絵に写し取りたい!

IMG_4052.jpg絵図

この八幡山城こそが、義満のみた「趣深く、何とも言えない美しさや味わいを感じさせるスペシャルな絶景」を写し取った天橋立絵図の立ち位置だったかもしれません。

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そして、その80年後、藤孝もまた、この地に立ち、まさしく「玄妙なり」と景観を味わっていたのではないでしょうか。

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中腹に鎮座される八幡神社までのシイの巨樹の森も味わいがありますよ。。

 

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