五十河の里の、小町さん。
この里に小町伝承があるのは、五十河の里が竹野川の源流にある、そのことに由来があるのかもしれないと考えています。
1100年も昔のある夏のこと、京の都はじめ日本は、たいへんな日照り旱魃に見舞われました。水がない、稲が枯れる、水、水、みずが欲しい、
その危機の際、京都神泉苑で催された雨乞いの祈りの儀で、歌を託されたのが小町さん、
ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとては 又天が下とは
(道理でございます、この国を日本と呼ぶならば、日が照りもするでしょう!しかしそうは言っても、又、天の下とは、あめ(雨)の下とも言うではございませんか。だから、どうか雨を降らせてください。)
渾身のこの言葉の巧みさに心動かされた龍神は大雨を降らせた、、希代の祈り人、祈り歌、であることを証明したこのエピソードはたいへん有名です。。
1100年も前のことですけれど、五十河に小町さんをお祀りさせているのは天の恵みは、竹野川を通して丹後に配られる、そういう認識を丹後の国全体が共有したためだったのではないかなと、思いました。
さて、このコロナ禍を押さえるためには、動いてはいけない!たいへん、苦しいもどかしい状況のなかで連休を迎えます。
八重桜や御衣黄サクラも見てもらう気満々で咲き誇っています。
しかし、今は出るな、来るな、「お医者様たちの奮戦に感謝しながら科学的な判断と指示」に従わなくてはならないとおもいます。
小町さん、
現代の人たちを見守り、一日も早い収束を祈ってくだされ!
さらに小町さん、こんな歌もささげていらっしゃいます
千早振る 神も見まさば 立ちさわぎ 天のと川の 樋口あけたべ
(神様、日照りを御覧になったなら、大急ぎで天の川の水門を開けて下さい。)
また、こんな祈り歌、捧げ歌については以下の説明がわかりやすいですよ。
「日本には古くから言霊信仰があった。言霊信仰とは「口にした言葉は実現する力を持っている」とする考え方のことである。山岸凉子先生の漫画『テレプシコーラ』ではバレエの鳥山先生が拓人に言霊信仰について教えるシーンがある。「いつもダメだ。できない。」と言っていると本当にできなくなる。意地でも「できる。」というべきだというのだ。鳥山先生が言っていることは確かに正しい。しかし、私はもともとの言霊信仰はポジティブ・シンキングではなく、まじないだったのではないかと考えている。すなわち「雨が降る」と言葉にすれば本当に雨が降り、憎い相手に「死ね」といえば本当に死ぬ、ということである。しかしあまりにストレートすぎるまじないは神様のお気に召さなかったのかもしれない。また、和歌による呪術は他人に気づかれないように行う必要があったからかもしれない。小町は掛詞、縁語、もののななどのテクニックを用いて、他人に気付かれないよう、またひとひねりして神様が「おお!」と感嘆するような呪術をかけようとしたようである。」小野小町の謎⑧ 雨乞い小町 | exniatalcomp1978’s Blog
言葉には石を動かす力はありません、
しかし歌は心を鼓舞します
いま、求められているのは現代の祈り人、祈り歌。