宮津湾を見晴らす京都府立丹後海と星の見える丘公園の、風の谷に現れた風車群。
いくつもいくつも、風をとらえようとしている風車。
テラスだけではありません。
「かわいらしいことしとんなりますわなぁ!」単純なだけに、この背景になにか、目的、意図、メッセージが隠されているのではないか、なにに繋がっていこうとしているのか、深読みしてしまいます。
さて、人は経験を踏まえたメッセージを「風」のイメージを借りてたくさん表してきました。
◇山雨来らんとして、風、楼に満つ(さんうきたらんとして、かぜ、ろうにみつ)
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。「楼」は、高殿。山の雨が降り出す前には、前ぶれとしての風が高殿へ吹きつけるということから。「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。
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風は、姿は見えなくても、実に有言、奥の深いもの。いわゆることわざや格言、慣用句
秋風が立つ(あきかぜがたつ)
男女間の愛情がさめるたとえ。「秋」と「飽き」をかけたことば。
秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)
秋風が日暮れになると静まるように、夫婦喧嘩も夜になるとおさまるということ。
商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商売も自分の感情や理屈を曲げて、客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。
明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)
先のことをいくら心配してもはじまらないので、なるがままに任せて生きるのがよいということ。明日は明日で、今日の風と違う風が吹くという意から。
網の目に風たまらず(あみのめにかぜたまらず)
無駄なこと、何の効果もないことのたとえ。網で風を防ごうとしても、風は網の目を通り過ぎていくことから。
網の目に風たまる(あみのめにかぜたまる)
ありえないことのたとえ。風は網の目を通り抜けるはずなのに、網に風がたまっているという意から。
雨塊を破らず、風枝を鳴らさず(あめつちくれをやぶらず、かぜえだをならさず)
世の中が大平であることのたとえ。周公が中国を統治していた頃は天下泰平で、雨は静かに降って土のかたまりを壊さず、風は木の枝も動かないように静かに吹いたという故事から。
阿波に吹く風は讃岐にも吹く(あわにふくかぜはさぬきにもふく)
ある土地の風習は、他の土地にも移る。上の人の行いは、下の者も真似るようになるということ。また、どこの土地でも人情は変わらないということ。「阿波」は現在の徳島県、「讃岐」は香川県。
一に褒められ二に憎まれ三に惚れられ四に風邪ひく(いちにほめられにににくまれさんにほれられしにかぜひく)
くしゃみについてのことわざ。一回なら誰かに褒められているし、二回は憎まれていて、三回は惚れられているが、四回は風邪をひく前兆である。
一世を風靡する(いっせいをふうびする)
その時代の人々を、一つの傾向に従わせること。また、その時代に大きな影響を与えること。
入り船に良い風出船に悪い(いりふねによいかぜでふねにわるい)
一方によいことは他方には悪く、両方によいことはないというたとえ。入り船に都合のよい順風は、出船にとっては逆風になるという意から。
浮世の風(うきよのかぜ)
思うようにならない世間の風潮。
馬の耳に風(うまのみみにかぜ)
馬の耳に風が吹きつけても馬は何も感じないことから、人の意見を聞き入れない、または聞き流すことのたとえ。
越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶く(えっちょうなんしにすくい、こばほくふうにいななく)
故郷の忘れがたいことのたとえ。 中国南方の越の国から北国へ渡った鳥は樹木の南側の枝に巣をかけ、北方の胡の国から来た馬は北風が吹きよせると故郷を想って嘶(いなな)くという意から。 『文選』の古詩「胡馬は北風に依り、越鳥は南枝に巣くう」による。 単に「越鳥南枝に巣くう」や「胡馬北風に嘶く」ともいう。
追風に帆を揚げる(おいてにほをあげる)
勢いに乗って物事が順調に進むたとえ。追い風に帆を揚げれば船は早く進むことから。
大風が吹けば桶屋が儲かる(おおかぜがふけばおけやがもうかる)
思いもかけないところに影響が出るたとえ。また、あてにならない期待をするたとえ。 大風が吹けば土ぼこりが舞い上がって目に入り、目の不自由な人が増える。目の不自由な人は三味線で生計を立てようとするので、三味線に使う猫の皮がたくさん必要になる。猫が少なくなるとねずみが増え、ねずみが桶をかじるので桶屋が儲かって喜ぶ、という話から。 「風が吹けば桶屋が儲かる(喜ぶ)」ともいう。
大きな家には大きな風(おおきないえにはおおきなかぜ)
人にはそぜぞれの境遇に合った悩みがあるということ。金持ちは何の心配もないように見えるが、家が大きければ、それなりに風当たりが強く、金持ちなりの悩みがあるという意から。
風穴を開ける(かざあなをあける)
銃や刀などで胴体を貫くような穴を開けるという脅し文句のこと。 また、組織や状態が硬直しているところに、新しい風を吹きこむことのたとえ。
風上に置けない(かざかみにおけない)
性質や行動が下品で卑劣な人間をののしっていう言葉。悪臭のある物は臭くて困るので、風上に置くわけにはいかないという意から。「風上に置けない」ともいう。
風に櫛り雨に沐う(かぜにくしけずりあめにかみあらう)
風雨にさらされて苦労することのたとえ。風で髪をとかし、雨で体を洗うという意から。「櫛風沐雨」ともいう。
風の前の塵(かぜのまえのちり)
物事のはかないことのたとえ。また、危険が間近に迫っていることのたとえ。塵は風にひとたまりもなく吹き飛ばされてしまうことから。
風は吹けども山は動せず(かぜはふけどもやまはどうせず)
周囲の騒ぎの中で、少しも動じないで悠然としていることのたとえ。激しい風が吹き荒れても山はびくともしないという意から。
風を切る(かぜをきる)
勢いよく進むさま。また、風に逆らって進むさま。
肩で風を切る(かたでかぜをきる)
肩をそびやかして、得意げに颯爽と歩くさま。また、得意げに振る舞うさま。
喬木は風に折らる(きょうぼくはかぜにおらる)
優れた人や高い地位の人ほど、人からねたまれて失脚することが多いというたとえ。高い木ほど強い風を受けて折れやすいという意から。「高木は風に折らる」ともいう。
水母の風向かい(くらげのかぜむかい)
いくらあがいても無駄なことのたとえ。水母が風上に向かっても進めないことから。
高木は風に折らる(こうぼくはかぜにおらる)
地位や名声の高い人ほど、人からねたまれたり批判されたりして身を滅ぼしやすいことのたとえ。高い木ほど風当たりが強く折れやすいという意から。「大木は風に折らる」ともいう。
子供は風の子、大人は火の子(こどもはかぜのこ、おとなはひのこ)
子どもは寒い風が吹く中でも元気に外で遊びまわり、大人は寒がって火のそばを離れないということ。
山雨来らんとして、風、楼に満つ(さんうきたらんとして、かぜ、ろうにみつ)
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。「楼」は、高殿。山の雨が降り出す前には、前ぶれとしての風が高殿へ吹きつけるということから。「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。
疾風に勁草を知る(しっぷうにけいそうをしる)
困難にあった時、はじめてその人の真価がわかるというたとえ。「疾風」は速く吹く風、「勁草」は強い草の意。速く激しい風が吹いて、はじめて強い草が見分けられるという意から。
透き間風は冷たい(すきまかぜはつめたい)
義理の仲が、なんとなくしっくりいかないことのたとえ。また、友人や男女の間で感情の隔たりができると、まったくの他人どうしでないだけに、よけいに冷たさが身にしみるというたとえ。
たまに出る子は風に遭う(たまにでるこはかぜにあう)
ふだんしないようなことをすると、失敗したり不運に出遭ったりするというたとえ。めったに外に出ない子がたまに外出すると、その日に限って大風が吹くという意から。
月に叢雲、花に風(つきにむらくも、はなにかぜ)
良いこと、楽しいことにはとかく邪魔が入りやすく長続きしないというたとえ。名月には雲がかかって見えず、春の花は風が吹いて花びらを散らすということから。
出船によい風は入り船に悪い(でふねによいかぜはいりふねにわるい)
一方によければ他方に不利で、両方によいことはないというたとえ。出船に都合のよい順風は、入り船にとっては逆風になるという意から。
風流は寒いもの(ふうりゅうはさむいもの)
雪見や梅見などは、風流を解さない者にとっては寒いだけでつまらないということ。
吹く風枝を鳴らさず(ふくかぜえだをならさず)
世の中がよく治まり平和なようすのたとえ。吹く風が静かで枝は音も立てないという意から。
舟は帆任せ、帆は風任せ(ふねはほまかせ、ほはかぜまかせ)
すべてを成り行きにまかせることのたとえ。帆掛け船は帆任せ、帆は風任せで進むので、自力ではどうしようもないという意から。
分相応に風が吹く(ぶんそうおうにかぜがふく)
人にはそれぞれの身分や地位に応じた生き方があるということ。
昔は肩で風を切り、今は歩くに息を切る(むかしはかたでかぜをきり、いまはあるくにいきをきる)
昔は威勢のよかった者が、今は衰えてしまったことのたとえ。若いころは肩で風を切ってさっそうと歩いていた者も、年をとって歩くだけで息切れするということから。
無常の風は時を選ばず(むじょうのかぜはときをえらばず)
風が咲いている花を散らすのに時を選ばないように、人の命もいつ果てるのか、まったく予測はつかないということ。
目病み女に風邪引き男(めやみおんなにかぜひきおとこ)
眼病で目がうるんだ女と、風邪をひいている男は色っぽく見えるということ。
物言えば唇寒し秋の風(ものいえばくちびるさむしあきのかぜ)
余計なことを言うと、思いがけない災難を招くということ。松尾芭蕉の句。
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こういうのを風車とあわせて掲出しておけば、目に見えない風が、可視化されて、雰囲気が締まるかもしれないなと思いました。
晩夏の空に吹き流しが泳ぐのは、日置金剛心院の盆の施餓鬼。
鯉のぼりは5月限定のものですが、吹き流しを踊らせるのは通年可能ですね。
さて、風と遊ぶおもちゃがかざぐるま。海星公園の背後の山の尾根に、この風を利用しようと、風力発電所をたてる目論見が動いています。いわゆる丹後半島風力発電所プロジェクトです。これは、高さ百数十㍍といいますから、単なるデコレーションではありません。こうなると、かざぐるまではなく、つばすがブリに名前を変えるようにふうしゃ・風車。
風は、光にあふれ雲が湧く大地と海洋の生み出すエネルギーに満ちた大気現象です。それの利用は人類の未来が架かった大きな課題です。
しかし、景観に悪影響は出たり、大型工事で地質が耐えられず崩れたり、生態系が壊れたり、風きり音や低周波が住民に健康被害を及ぼしたりするようなら、迷惑施設です。
エコロジーとエコノミーの両立の確認が大原則。そういう目でみると、伊根の重伝建や天橋立の借景になっていたり、一帯の山は地滑りしやすい堆積岩地層であったりのですから、現状は無理筋な計画と思わざるを得ないと感じています。
これは大宮町 平井電気さんの風力発電機です。大宮平原に吹き抜ける北風と南風をとらえて回っています。京都府も助成しているそうです。
アマゾンではさらに小型の事業機もあるようです。
「800Wの恒久的なMARLEV風力タービン発電機、コントローラの風が付いている24V 48V屋根と街路照明のための乱用,1000w,48v
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¥145,184¥145,184 」
化石燃料は温暖化加速エネルギー、原子力は危険暴走エネルギー、何から取り出すエネルギーで地球を動かすのか、地球デザインスクールの運営する風の谷には、そういう問題を解決するモデルとなるような「風力」を、設置して、アピールしてもらいたいものです。