いっぷくの山水画!
(↑ 五十河たんぼ)
,,,でも
自然感満載の背景の山とちょくせん的な人工感が際立つ前景の川の堤防とのずれ
なんか 洋服姿のちょんまげ男、、、じゃないですか!
この不自然さの謎、平成16年に書かれたこの随筆が解いてくれるかも。
大宮町老人クラブ連合の会誌に掲載の記事
合成画のような景観は大水害の語り部だったのです。
さて、「昭和47年9月 突然襲ってきた第二伊勢湾台風により我が大宮も各所の河川がずたずたに寸断され、、、」と広野さん。
はて、第二伊勢湾台風、、ってありましたっけ、、
それはそうとして、治山治水、河川災害のさいセットとしてとわれる森、山は、どんな状況だったのか、きになるところです。
「第二伊勢湾台風、、」伊勢湾台風はあっても、、、やはり要チェック。
◇「昭和47年7月豪雨」
昭和47年7月3日から6日にかけては、黄海から日本海北部に進んだ前線を伴った低気圧に向かって暖湿気流が流れ込んだため、九州と四国で雷を伴った局地的な大雨が降り、この期間の降水量が500mmから800mmに達した所があった。
9日から13日にかけて梅雨前線が南下し、本州南岸から四国、九州北部付近に停滞した。 また、日本の南海上には台風第6号、7号、8号があり、これらの影響で梅雨前線の活動は活発となり、西日本から関東地方南部にかけては400mmから600mm、山間部の多い所では1,000mm前後の大雨が降った。気象庁は、7月3日から13日の大雨を「昭和47年7月豪雨」と命名した。
◇ 伊勢湾台風
伊勢湾台風は、1959年9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心にほぼ全国にわたって甚大な被害をもたらした台風である。
◇第二室戸台風
昭和36年9月14日、沖縄南方約300kmの海上で北西から北に進路を転じた台風は、翌15日の早朝には沖縄のすぐ東方海上でさらに北東に向きを変え、本土を直撃する態勢に入りました。そして16日早朝には九州の南方約100kmの海上から一路北東進し、室戸岬、淡路島、大阪湾、若狭湾、能登半島の進路をたどり北方に去ります。
この第二室戸台風は、その最盛期において中心気圧885mb、最大風速は70m/sec、暴風半径は330kmという強大な勢力をもち、過去の台風災害の最大記録といわれる伊勢湾台風(昭和34年9月26日)などに匹敵する規模をもっていました。
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突然襲ってきたのが9月で、第二台風なら、「第二室戸台風 」昭和36年9月かもしれません。また、突然襲ってきたのが昭和47年なら「昭和47年7月豪雨」かも。、、、
伊勢湾台風. (15号). 9月26日. 町内各所に被害が続出.
36 第二室戸台風. 9月16日. 竹野川水系の新宮川、五十河谷川、常吉川が溢流し浸水.、、、、と「京丹後市地域防災計画」。
さてそれはそうとして、それだけにしっかりもつべきは川の思想、川の定義なのだと おっしゃるのは、新潟大学の大熊先生。
広野さんが、復旧工事にのぞむのは「いかなる水害もふせぐことのできる工事」だけれどもその一方できづかわれるのは「川の生き物」のこととされるのはそのあたりのことなのだとおもいました。